人間関係

「幸せそうな女性を殺したかった」小田急線無差別刺傷事件の背景を読み解く

東京五輪が終盤を迎えた2021年8月6日夜、小田急線の車内で女子大学生を切りつけて殺害しようとしたとして36歳の男が殺人未遂容疑で逮捕されました。「幸せそうな女性を殺したかった」などの供述をもとに、凶行の背景を考えます。

福田 由紀子

執筆者:福田 由紀子

臨床心理士/メンタルケア・子育てガイド

「幸せそうな女性を殺したかった」

電車内

複数回切りつけられた女子大学生は重症、他の9人は軽傷とのこと。

走行中の電車内で20歳の女子大学生の胸や背中を包丁で刺し、乗客10人が重軽傷を負った小田急線無差別刺傷事件。殺人未遂容疑で逮捕された36歳の男が「幸せそうな女性を殺したかった」と供述したことが報道され、身勝手な動機に激震が走っています。
 
停車駅の少ない快速急行内で犯行に及んだのは「逃げ場がなくて大量に人を殺せるから」とのこと。車内にサラダ油を撒いて火をつけようとしましたが(当然のことながら)火はつきませんでした。
 
これほどの大きな事件を起こしてまで、男が手に入れたかったものは何だったのか。凶行の背景にあったものは何なのか。これまでに報道されている供述をもとに「暴力」と「ジェンダー」をキーワードに読み解きます。
 

不遇感と強いミソジニー(女性に対する嫌悪や蔑視)

被害者の女子大学生は、服装などから「勝ち組っぽいと思った」ため、ターゲットに選んだそうです。
 
この供述から読み取れるのは、彼が自分自身のことを「不幸な負け組男性」だと思っているということです。「女性」への憎悪を語っているようで、実際は彼の自己紹介です。
 
男は、万引きを女性店員に通報されたことを逆恨みし、「女性店員を殺したいと思って再び店に戻ろうとしたが、閉店していたので、電車で事件を起こした」「女性なら誰でもよかった」と供述したとのことです。
 
おそらく、通報した店員が屈強な男性店員なら、殺そうとは思わなかったはずです。そこには、男性である自分の優位性を脅かされた怒りが垣間見えます。また、逆恨みが「女性全体」への敵意に変わるところに女性蔑視を感じます。
 
男性優位な我が国の社会構造の中で、男性は男性であるだけで優遇されてきました。それは、数年前の医学部不正入試問題でも明らかです。徐々に改善されてはいますが、未だに我が国の男女の賃金格差は世界ワースト3位(※1)です。

男女平等な社会になることにより、男性の特権や既得権益が脅かされるのは事実です。女性の社会進出を歓迎しない男性たちは「自分の仕事を女性に奪われるのではないか」といった恐れを持っているようです。男性であることしか女性に対し優位性を感じられない人ほど「女なんかに奪われるなんて」と屈辱感は強くなるでしょう。これまで通りの男性優遇社会であれば、自分はこんなみじめな思いをしなくて済んだのにと被害感を持ち、「女性」に恨みを抱く男性もいるでしょう。
 
容疑者は中央大学を中退後は職を転々とし、事件の数カ月前からは生活保護を受給していたといいます。彼自身が思い描いていた未来と現実がかい離する中で、もがいた日々もあったのでしょう。自分の不甲斐なさと直面するより、「女性のせいだ」と思っていた方が気が楽だったかもしれません。
 
彼にとって「勝ち組」が何を意味するのかわかりませんが、人生を勝ち負けで考えるところも「男性ジェンダー的」です。「女の子でしょ」「女のくせに」といった女性に向けられるジェンダー規範が「禁止のメッセージ」であるのに対し、男性に向けられるそれらは「激励のメッセージ」です。「男なんだからもっと頑張りなさい」「男のくせに泣くなんて情けない」といったものです。
 
「男だから負けられない」と追いつめられる男性は少なくありません。しかし、人生で何を大切にするのか、それは人それぞれ違っていて当然です。また、その多様性こそが社会の豊かさです。無意味な競争から降りて、自分なりの幸せを目指す勇気が彼にもあればよかったのですが。
 

「モテない」という被害感

写真を見ると、容疑者の男はなかなかのイケメンです。過去には「ナンパ師」を名乗っていたようですが、女性に対して敵意が生じたきっかけを匂わせる供述として「サークル活動で知り合った女性に見下された」「出会い系サイトで知り合った女性とデートしたが、途中で断られた」「デート代を多く払わされた」といったものがあります。
 
被害的に受け取りすぎているのではないかという印象もありますし、一貫して「女性が悪い」という論調なのが気にかかります。
 
自分のことは棚に上げて「相手が悪い」と責め、自分の暴力を正当化する。これは男性のDV加害者に共通する特徴です。背景には「男は女より偉い」といった男尊女卑の価値観や、「女は男を立てるべき」といった性別役割意識があります。このような考えが強いと「俺は男なのに、女なんかに軽く扱われた」と怒りは膨らんでいきます。
 
若者の貧困化により「デート代を男性が出す」という風習は廃れてきました。また、直近の2015年の国勢調査では、男性の生涯未婚率は23.4%(※2)。4人に1人が未婚のまま人生を終える時代となっており、この割合は増えていくのではないかと予想されています。
1960年代後半、見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転しました。 ※国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」2021年版をもとに筆者が作成

1960年代後半、見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転しました。
 ※国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」2021年版をもとに筆者が作成

1970年の男性の生涯未婚率は1.7%と、ほとんどの男性は生涯に一度は結婚していました。多くの女性が経済力を持っておらず、「永久就職」として結婚する女性も多い、「女の幸せは結婚」だといわれていた時代でした。未婚率の上昇は、恋愛結婚が見合い結婚を上回った頃からです。 「恋愛と結婚と出産」が三位一体となった「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」を背景に「標準的家族モデル」が成立しました。
 
結婚生活が幸せかどうかは、夫婦双方の努力によります。しかし、恋愛できないことには、結婚もできず子どもも持てないという世の中では、恋愛の重要度が高まります。近年の「モテ重視」にはこのような社会背景が関係していますが、「男らしさ」はもはや時代遅れでモテません。
 
男が女性に恨みを募らせた背景には、自分がこうありたいと望む「男性像」と、女性の求める「男性像」との乖離に気づけなかったことも関係しているように思えてなりません。サラダ油が引火しないことは揚げ物をすれば体感できます。料理もできない男性はお断りだと考える女性も増えました。
 

強いコントロール欲求

容疑者の男は、「殺せなくて悔しかった」と話す一方で、「(乗客が)逃げ惑う光景を見て満足した」と供述しているとのことです。
 
ここから見えるのは、彼の強い「支配・コントロール欲求」です。逃げ場のない車内で刃物を持った彼は圧倒的な「強者」となり、乗客の生死をもコントロールできる存在になりました。皆がおびえる、生殺与奪の絶対的な権力を持つ自分。
 
DVも虐待もいじめもそうですが、暴力は相手を支配しコントロールするために使われます。相手の命をも手中に収める殺人は、他者をコントロールするための究極の手段であり、「自分には他者に苦しみを与える権利がある、命を奪う権利もある」と考えることで実行に移されます。
 
自分に特権意識を与えるのは、多くは「自我肥大」と「被害感」です。他者を取るに足りない存在だと見下し、「自分はこんなに苦しんできたのだから」相手を傷つけてもよい、他者の大切な物を奪ってもよいと考えます。
 
密室の中で、凶器を手に「絶対強者」となった時、おそらく彼は気持ちよかったことでしょう。「他者を意のままに支配し、コントロールしている自分」というのは、彼が自分の人生と引き換えにしてでも得たかったものなのでしょうから。
 

足りなかった「自己効力感」

他者をコントロールしたいという欲求とは似て非なるものに「自己効力感」があります。
 
「自己効力感」とは、何らかの課題に取り組むときに、たとえ困難な状況であっても「自分は対処できる」と自分を信頼できることをいいます。男が「クソみたいな人生」と自己評価するようになるまでには、多くの挫折があったのでしょう。しかし、そんな時こそ周りに助けを求めてほしかった。自分の弱さを認めることも人に頼ることも、強さがなければできません。「自分には生きる価値がある」「つらいときは支えてもらっていい」と思えればよかったのに。
 
たまたまその場に居合わせたために理不尽な悪意を向けられ、切りつけられた女子大学生は、心身に負った大きな傷を癒しながら生きていかなければなりません。男の身勝手な犯行と動機の供述は、重軽傷を負った被害者や周囲にいた乗客のみならず、多くの女性たちに恐怖を抱かせるに十分でした。
 
彼はこれからの人生の多くの時間を刑務所で過ごすことになるでしょう。いつの日か、自分の弱さと向き合い、自分の犯した罪の重さと真摯に向き合える日が来ることを願います。「クソみたいな人生」を、自らの手でクソまみれにしたことに、打ちひしがれてほしいと思います。
 

私たちは何ができるか

翻って、私たちは、このような犯罪が二度と起きない社会にしていくために何ができるでしょうか。
 
凶悪犯罪が起きると、私たちは「異常な犯人の異常な行動」として、問題を犯人の個人的な問題としてとらえがちです。しかし、あらゆる犯罪は社会の問題と地続きです。
 
今回の凄惨な事件が起きたのは、東京オリンピックの最中でした。新型コロナの感染拡大により病床はひっ迫し、失業者があふれ、自粛を強く求められるなか、テレビの中では世界各国から集まった選りすぐりの「勝ち組」のアスリートたちがメダルを争っていました。
 
開催の是非によらず、それが日本の厳然たる風景であったことは事実です。
 
オリンピック東京大会の基本理念のひとつは「多様性と調和」でした。組織委員会の中に「ジェンダー平等推進チーム」も発足しました。性別にとらわれず、ひとりひとりが互いを認め合う社会、自分や他人を苦しめる「男らしさ」や「女らしさ」を手放し、多様な生き方を尊重する社会は、今回のような犯罪を生み出しにくくなるのではないでしょうか。

病気や怪我や加齢によって、誰もが弱者になる可能性を抱えています。弱者が弱いままで尊重され、「健康で文化的な最低限度の生活」と、みなが再出発のチャンスが保障された社会にしていきましょう。


【参考情報】
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。

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