妻の我慢が爆発するとき
コロナ禍でストレスがたまっているのか、はたまた「夫婦という家族関係」の限界が近いのか、妻が夫を殺傷する事件が相次いだ。
3月5日、神奈川県で76歳の妻が83歳の夫に馬乗りになり、のこぎりで喉を切りつけた。彼女は夫の意識が薄れていく2時間もの間、馬乗りになったまま夫を見つめていたという。暴力があったり生活費を入れてくれなかったりして長年の恨みがあったと言っているが、自分が手をかけて夫の命が消えていく2時間、妻は何を考えていたのだろう。
翌日6日、三重県で、20歳の妻が39歳の夫の背中を刃物で刺したとして逮捕された。殺害の意志はなく、ケンカの最中に夫が動いたので刃物が刺さってしまったと供述しているようだが、少なくとも刃物を持って夫と対峙していたことは事実である。
立て続けに妻が夫を殺傷した事件、しかも妻は70代と20代。年代を問わず、夫に対する妻の忍耐が効かなくなっているという気がしてならない。
私がキレたとき
「いつか夫を殺してやりたいという気持ち、私もわからなくないです」
物騒な発言だけどと前置きをしてから、タカコさん(48歳)はつぶやいた。8歳年上の夫との結婚生活は20年におよび、やっと上の子が高校を卒業したところだ。下の子が高校を出るまであと2年。そうしたら夫に離婚を切り出す予定だという。
「最近は減りましたけど、若いころは本当に短気な人で、私は年中殴られていました。言葉より先に手が飛んでくる。ビンタは慣れっこになってしまった。ケガするような暴力ではないんです。頬に手のあとがつくくらい。でも人前や、子どもの前でやられるのはつらかったですね。一時期、上の子は夫と同じように私を下に見てビンタしてきましたからね。たまたま夫がそれを見ていて子どもを叱ったんですが、『なんでだよ、お父さんがいつもしていることじゃないか』と言い返されていました。それ以来、子どもの前では殴らなくなりましたけど」
殴られるのが当たり前の日常を、タカコさんはやり過ごしてきたのだ、20年もの間。左頬の皮膚がすっかり厚くなってしまったと笑っているのが痛々しい。それでも彼女が我慢していたのは、やはり夫の収入がなければ暮らしていけないから。とはいえ、夫が潤沢に稼いできてくれたわけではない。
「私が仕事を続けていれば、もしかしたら生活が厳しくても離婚したかもしれません。少なくとも正社員だったから、なんとか暮らしてはいけた。夫の協力がまったく得られず、近くに親族もいない状態では私が仕事を辞めるしかなかったんですよ」
夫は腕のたつ職人で、収入は決して悪くない。だが全額渡してくれることはまずない。彼女は子どもを保育園に預けてパートで仕事をしてきた。それでも足りず、自身の貯金を取り崩したこともある。
外面がいい夫に愛想が尽きて
夫は外では「いい人」だ。後輩を引き連れて飲みに行くこともよくあり、すぐに奢ってしまう。「人の出入りも多いんです。夜中に若い職人がやってきて宴会が始まることもありました。ほとんど寝ずに接待して、彼らの朝食まで用意して、子どもたちを保育園につれていってから仕事に行って。ちょっとでも嫌な顔をしたらあとで殴られますから、若いころはいかにして殴られないようにするかを最優先に考えていましたね」
いつかはおとなしくなるだろうと思っていたが、夫が50代になった今でも、手は早い。昔に比べたら、カッとする頻度は減ってきたかもしれないが、その程度だ。夕食を待たせたり、返事が遅いというだけで手が飛んでくる。
「みじめですよね。まるで家畜みたい。殴られて言うことをきいて、それでもまた殴られて。何度家を出ようかと思ったかわかりません」
反撃に出たいと思ったこともあるが、力ではかなわない。夫に近しい親族はいないので相談もできない。タカコさんの実家は兄夫婦が仕切っていて両親には甘えられない。特に義姉はタカコさんの夫を嫌っていた。
「妹が離婚して、一時期、実家に子連れで戻っていたんですが、義姉にいろいろ嫌味を言われたそうです。そのたびに両親が肩身が狭そうにしていたと聞いたので、私は両親には心配をかけられない。だから夫の横暴さに耐えるしかなかった」
ただ、このままふたりで年をとったら、きっといつか復讐心から夫にひどいことをしてしまうと彼女は予測している。
「今だって、テレビを観ている夫の背中に刃物を突き立ててやりたい衝動にかられることがあるんです。絶対、そんなことはしませんが、妄想の中ではやってしまう。あと2年がんばろうと今は自分を励ましていますが」
たとえ夫が離婚に同意しなくても、たとえ自身が生活保護を受給せざるを得なくなっても、2年後には逃げ、自分自身を回復させて残りの人生を過ごすと彼女は決めている。