「空気を読めない人」だけが悪いわけでもない
「空気が読めない人」がいると、場の雰囲気を乱すので、困りますよね。でも、ただ単に空気を読めればいいというわけでもなく、「空気を読み過ぎてしまう人」もよくありません。どちらも、自分も周りも幸せになれないからです。
大人になっても精神的に成熟していない“子供おばさん(子供おじさん)”は、場の空気を読まずに、自分勝手な言動をして周りにひんしゅくを買ってしまうこともあれば、逆に、空気を読み過ぎて、自分の思いを押し殺してストレスをため込んでしまう人もいます。
実は、「空気が読めない人」にも「空気を読み過ぎてしまう人」にも共通の“できていないこと”があるのです。
空気を読めない人&読み過ぎてしまう人が“できていない”こと
「空気を読めない人」と「空気を読み過ぎてしまう人」ができていない共通のことは何でしょうか。それは、「自分と相手の思いの、折り合いをつけること」です。
「空気が読めない人」のように、相手のことを考えないで好き勝手な言動をしていたら、人に嫌われても仕方がありません。なぜなら、相手のことを気遣っていないし、言い方を変えれば、「相手を大切にしていない」からです。
逆に、場の空気ばかりを読んで、自分の思いを押し殺しているような人は、「自分のことを大切にしていない」のです。だから、いつも不平不満を抱くような環境を作って、自分で自分を苦しめるのです。
結局、一番大切なのは、「コミュニケーションをとること」です。“空気”なんていう、見えないものに頼りすぎることなく、きちんと相手の意向を聞き、自分の思いを話し、折り合いをつけていくしかありません。そもそも、人ぞれぞれに感じ方は違うので、その“空気”だって、みんなと同じ解釈をしているとは限らないのです。自分だけがズレていることもありますしね。
さらに、「空気を読めない人」と「空気を読み過ぎてしまう人」には、それぞれ苦手なことがあります。そこをクリアして、改善していった方が、自分も周りの人も幸せになれるでしょう。
空気を読まない人がすべきこと
「空気を読まない人」は、自分を俯瞰することが大切です。今はどんな状況なのか、大きな視野で客観視する必要があります。
逆を言えば、自分目線でしか物を見ない人は視野が狭いので、自分が場の雰囲気を悪くしていることにも気付けなかったり、さらに、自分に悪気がないからこそ、自分が状況を悪くしているにも関わらず、「私は悪くない!」と思ったりしてしまいます。いやいや、たとえ悪気がなくても人に嫌な思いをさせたら、いい行為とは言えません。
さらに、「空気を読まない人」こそ、人に感謝をする気持ちを持つことが大切です。それができていないから、周りの人たちの意向を無視して、自分勝手な言動ができてしまうのです。
例えば仕事でも、自分1人でできることなんて限られています。色々な人がいることで、その仕事が成り立っていることばかりです。またお客さんがいるからこそ、利益を生んでいます。だから、自分が生きているのは、みなさんのおかげなんですよね。
そういう気持ちがあれば、人々と調和をしていく気持ちもわいてきますし、「相手の気持ちも知りたい」と思うようになってくるので、場の空気を読まずに、自分の主義主張ばかりを押し通そうとはしなくなるでしょう。
もちろん、人と折り合いをつけるというのは、場合によっては、自分の希望を譲歩しなくてはいけないことも出てきます。でも、「正しさ」なんてものは、確固たるものはなく、人それぞれで違うことも少なくないので、自分の正しさばかりにこだわらないで、自分も相手もHAPPYになるような方向に持っていく必要があるんですよね。
空気を読み過ぎる人がすべきこと
「空気を読み過ぎる人」は、“人に嫌われる勇気”を持つことが大切です。どんなにいい人でさえ、万人に好かれるなんてことは不可能です。自分らしく生きていて、人に迷惑をかけているわけでなければ、それで嫌われたとしても気にすることはありませんし、むしろ、そんな相手にわざわざ好かれる必要はありません。
場合によっては、「忖度し過ぎない人」になることも大切です。日本では特に、自己保身のために、上の人の意見に反論できなかったり、その場にいる人たちの意見に流されたりしてしまう人も少なくありません。
でも、本当にあなたの心の中に正義があるのであれば、場の空気を壊してでも、きちんと思いを伝えることは大切ですし、その思いが純粋であればあるほど、それを分かってくれる人も現れるものです。なぜなら、自己保身のために自分の役割も果たさず、ズルく立ち回っている人の方が、よくないですしね。
もちろんそれは、困難な道になるかもしれません。でも、自分の生き方を貫くことは、生きる上でとても大切なことです。“自分が納得できる自分”になった方が、幸せになれるものです。
内側に何を抱いているかが重要!
結局のところ、空気を読まない行為も、読み過ぎてしまう行為も、「心の中に何があるのか?」によって、その意味合いは、変わってきます。場合によっては、たとえ空気を読んでいても、正義のために空気を読めない行動をした方がいいこともありますしね。つまり、心の中に、利己的、我がまま、自分勝手、自己保身などの“負の思い”である場合は、評価できない行為になりがちですが、そこにあるのが、正義や思いやり、愛などの“正しい思い”であれば、むしろ評価され、味方が増える可能性は高いです。
結局のところ、空気を読む、読まない、なんていう単純な話ではなく、「自分の内側に何を抱いているのか?」が一番大事だということなんでしょうね。清々しい人でありたいものですね。