「こんなはずじゃなかった」は、あなたが悪いわけではない
恋愛も結婚も、ふたりの気持ちが一致するからこそできること。そしてその先には幸せが待っている「はず」だった。だが、先の予測は誰にでもできることではない。もし予測と違うことが起こったとしても、それは「自分が悪い」わけではないのだ。
彼のほうから熱烈アプローチしてきたのに……
いきなり別れを切り出されたミフユさんの場合
つきあって2年、「生まれて始めて猛烈なアプローチをされて」つきあい始めた彼、そして徐々に彼女のほうも心を寄せて大好きになった彼なのに、最後はあっけなく去っていった。そんな目にあい、いまだに気持ちが沈んでいるというミフユさん(31歳)。
「半年前、いきなり彼から別れたいと言われました。理由を尋ねたら、『ミフユと一緒にいても楽しくない』って。本当に急でした。その前のデートまでは楽しそうだったし、別れを宣告された前日までラブラブなメッセージのやりとりもしていたし。そこを追求したら、『無理していた』と。そんなことあるんでしょうか」
そもそも、仕事で知り合った同い年の彼は、会ったその日から熱烈にアプローチしてきた。好きになった、ミフユさんほどステキな人に会ったことはない、もう一度会いたい、と。
「そんなふうに言われたら悪い気はしないから、もう一度会うくらいはいいかなと思って食事に行ったんですよ。そうしたら彼はいきなり給与明細やら銀行通帳やらを差し出して、『ごく普通の水準でしかないけど、ちゃんと仕事しているから安心して』って。誠実な人なんだなと思いました」
若干、強烈なアプローチだと思うが、ミフユさんは彼のそのやり方を好意的に受け取っていた。そしてつきあいが始まった。彼の熱心さに比べ、最初、彼女は引っ張られる形ではあったが、つきあっていくうち彼女の気持ちも彼へとどんどん傾いていく。
「愛されてると実感できたんです。毎日連絡をくれるし、当時、私は仕事でけっこうつらい立場にいたんですが愚痴も聞いてくれる。彼のひとり暮らしの部屋で一緒にごはんを作って食べたりするのも楽しかった」
彼女の気持ちはゆっくり熟成され、この人以外にいないと思うようになった絶頂点で、彼はいきなり別れを切り出したのだ。悪く推察すれば、彼女の気持ちが完全に自分のものになったところで、ぶった切ったようにも思える。
「彼はそんなことをする人じゃないと思います。きっと悪いのは私なんです。私が彼の思いに甘えすぎていた」
あなたが悪いわけではない。恋愛というのは何が起こるかわからないものなのだから。彼の真意は誰にもわからない。そうとしか言いようがなかった。
結婚したら豹変した彼
私が彼に甘えすぎたから!?アイカさんの場合
こちらもお互いの気持ちがじゅうぶんに煮詰まって選択した「結婚」のはずなのに、わずか1年足らずで関係が変わってしまったアイカさん(34歳)。「知り合って半年で結婚したので、周りからは早すぎると言われました。でもお互いにいい年だし、大好きなんだからもう結婚するしかないという勢いで。知り合ってすぐ私が彼の家に転がり込んで一緒に暮らしていたので、婚姻届を出すだけなら何も変わらないと思ったんです」
ところが結婚したとたん、彼の態度が変わっていった。それまでは自分の部屋だからとどこか彼女をお客さん扱いしていたのだが、家事をすべて彼女に任せるようになった。お互いにフルタイムで働いているにもかかわらず。しかも、彼は家賃と光熱費は自分がもつから生活費はよろしくと言い出した。
「考えたら彼の給料がいくらなのかもわからない。私は生活費だけだからやっていけるかなと思ったんですが、彼は大量にクリーニング屋さんにもっていく服を出すんですよ。自分で洗えるものまでクリーニング屋でなければダメだと言う。食費も大変。肉は松阪牛じゃないとダメとか、野菜は無農薬を全部取り寄せとか。結婚前は、そんなこだわりがあるようには思えなかったのに」
あげく、彼女の手料理に文句をつけることが多々あった。だったら自分で作ればいいのにと言って大げんかになったこともある。
「そのうちだんだん私を否定するようになっていきました。自分が好きで結婚したパートナーを否定する人ってどうなんだろうと思うけど、実際に否定されると自分がいけなかったんだと思ってしまうんですよね」
自分がいけないんだ、彼はステキな人なのだからと思い込んでいた彼女は、どんどん自分を追い込んでしまう。そんなとき母親と会った。
「母はもともとこの結婚には賛成ではなかったんですが、私の顔を見るなり『大丈夫? つらかったら戻っておいで』と。その言葉を聞いて涙があふれました。母にそう言わせるほど、私、疲弊していたんだと思います」
彼女はすぐに実家に戻り、離婚に至ったが、今も自分がいけなかったのではないかと時折考えてしまうという。
がんばったのに結果が伴わない場合、自分が悪いわけではない、相手が全部悪いとも言い切れない、状況としてしかたがなかったのだという考え方も必要なのではないだろうか。