52年ぶりのメダルをターゲットに
五輪の男子サッカー競技で、日本がメダルを獲得したのは過去に一度しかない。日本サッカーがまだアマチュアスポーツだった1968年大会で、銅メダルに輝いた。不世出のストライカー・釜本邦茂が大会得点王になった。その後は五輪の出場すら叶わなくなり、日本サッカーは長く低迷する。
しかし、1996年大会で28年ぶりの出場を勝ち取る。1993年のJリーグ開幕を追い風として、世界への扉を開いた。ここから五輪出場は悲願ではなく現実的な目標となり、2016年まで6大会連続でアジア予選を勝ち抜いてきた。ただ、表彰台に登ったことはない。2012年のベスト4が最高である。
開催国として出場権を得ている今回は、2017年12月から強化がスタートした。サンフレッチェ広島を3度のJリーグ優勝へ導いた森保一監督のもとで、「金メダル」を合言葉にしている。
タレントは揃っている。とくに攻撃陣は見どころが多い。
6月にスペインの超名門レアル・マドリードと契約し、今シーズンは同国1部のマジョルカに期限付きしている久保建英は、チーム最年少の18歳ながら攻撃に欠かせないタレントとなっている。オランダで3シーズン目を過ごす堂安律は、8月に同国の強豪PSVに移籍した。
守備陣には冨安健洋(ボローニャ/イタリア)がいる。攻撃より守備を大切にする文化のイタリアで、この21歳は移籍1シーズン目にして評価を得ている。
冨安は日本代表でセンターバックのポジションをつかんでおり、堂安と久保も日本代表に定着している。彼ら3人のほかにも、センターバック(CB)の板倉滉(フローニンゲン/オランダ)、ボランチの中山雄太(ズヴォレ/オランダ)、アタッカーの三好康児(アントワープ/ベルギー)と食野亮太郎(ハーツ/スコットランド)らが、海外クラブで経験を重ねている。
2016年のリオ五輪世代(※)で、海外クラブから五輪予選または本大会に招集されたのは久保裕也(当時ヤングボーイズ/スイス、現ヘント/ベルギ-)と南野拓実(ザルツブルク/オーストリア)の2人だけだった。それが今回は、現時点で10人を数える。この数字だけでも、東京五輪世代がタレント豊富なことが分かるはずだ。
コロンビア代表とのテストマッチに臨んだU-22サッカー日本代表。久保建英(前列左から1人目)、堂安律(前列右から1人目)、板倉滉(後列右から3人目)、中山雄太(後列右から1人目)も先発メンバーに名を連ねた(写真:JFA/アフロ)
しかし、11月17日に行われたU-22コロンビア代表とのテストマッチは、0対2の完敗に終わってしまった。
(※)男子サッカーの五輪競技は、開催時に23歳以下の選手に出場資格がある。今回は1997年1月1日以降に生まれた選手。それ以外に、24歳以上の選手(オーバーエイジ)を3人まで招集できる。
チームが抱える2つの課題
この試合から見えてきた課題は2つある。1つ目は「時間」だ。
これまで日本代表に招集されてきた堂安は、U-22日本代表でのプレーは今回が初めてだった。久保建英は3月以来だった。「日本代表に選ばれるような選手が、五輪に出場するようになってほしい」と森保監督は話すが、冨安も含めた3人はU-22日本代表でプレーする機会が、今後も限られていく。日本サッカーが強みとするコンビネーションを構築する時間は、非常に限られていると言わざるを得ない。
2つ目は「システム」だ。
このチームは3バックと4バックを併用し、どちらかと言えば3バックに軸足を置いてきた。U-22コロンビア戦も3-4-2-1のシステムで戦ったが、機能したとは言い難かった。このまま3バックをメインに戦っていくにせよ、4バックへの変更を視野に入れるにせよ、メダルを狙うにはオーバーエイジの招集が不可欠になることがはっきりした。
森保監督が望むべきオーバーエイジを招集できたとしても、時間の問題は横たわる。彼らを含めたコンビネーションを練り上げる時間は、ほとんど確保できないだろう。
来年7月23日に開幕する五輪のサッカー競技へ向けて、チームは来年1月にAFC(アジアサッカー連盟)U-23選手権に臨む。五輪のアジア最終予選の位置づけの大会だ。すでに出場権を得ている日本にとっても、貴重な真剣勝負の機会となる。
ただ、ヨーロッパ各国のリーグ戦は開催されているため、久保や堂安らを招集できるのかは微妙だ。U-23選手権への助走として行われる12月末のU-22ジャマイカ代表戦も、国内でプレーするメンバーだけの編成になるかもしれない。
選手の顔ぶれから判断すれば、52年ぶりのメダルを獲得する可能性はある。あとは、チームが万全の状態で五輪を迎えるために、どれだけの時間を確保できるか。どれだけの選手を集められるか。サッカー協会の調整能力が重要になってくる。