行き場のない多くのツチ族が最後の望みを託して駆け込んだ実在のホテル
極限の状況のなかでの家族や同胞の絆というミクロの視点で観ても十分感動できるのですが、マクロの視点を意識して背後にある「国際社会の駆け引き」という要素を踏まえて観てみると、平和に浸った日本(日本人)が忘れていることを思い出させてくれるような気がします。
ナチスのホロコーストと並ぶ20世紀の大虐殺(ジェノサイド)
大統領の暗殺をきっかけに始まったフツ族によるツチ族の虐殺は約100日にわたり、その犠牲者はおよそ80万人とも100万人とも(人口のおよそ10~15%)といわれています。ナチスのような軍隊とは違い、ラジオの煽動によって一般の民兵がナタやカマで次々と隣人を殺していったところに特徴があり、国土のいたるところが無残な死体で埋め尽くされました。映画の中盤、虐殺の嵐が吹き荒れるなかやっと欧州の軍隊が到着し、ホテルの避難民たちは一様に安堵の表情を浮かべます。しかし、国連平和維持軍の大佐はベレー帽を地面に叩きつけて猛抗議。軍隊は虐殺を止めるためではなく、ルワンダからの撤退と外国人救出のためにやって来たのでした。
映画では明確に描かれていませんが、外国の軍隊が警護していた他の避難施設からも次々に軍は撤収していきました。飢えたライオンたちの前で檻を開けてあげたのです。
そのひとつが今はムランビ虐殺記念館となっているムランビ技術学校です。ここだけで4万5000人の犠牲者が出ています。私も訪問しましたが、無数の遺体が保存されており、何日も眠れなくなるような場所です。
ルワンダ南部の街、ギコンゴロにあるムランビ虐殺記念館正面
世界は実益で動く
世界はルワンダを見殺しにしました。これは人類史に残る事実です。もちろん私にそれを批判する資格があるとは思いませんが、自国の若い兵士の命を危険に晒してまで、遠いアフリカの小さな内陸国の部族紛争に介入する政治的リスクを、大国と呼ばれる国の指導者たちは取れなかった(そのメリットもなかった)ということでしょう。当時、私はまだ学生でしたが、ルワンダの危機を前にして、頑なに「ジェノサイド的行為」という言葉を使って歯がゆい答弁をする国連や大国の報道官の姿を今でも覚えています。「ジェノサイド」という言葉を使ってしまうと、ジェノサイド条約によりその阻止のための行動を起こさなくてはならなくなるためです。
「千の丘の国」と呼ばれるルワンダ独特の国土が被害者たちの逃げ場を奪っていったのかもしれない
人類は賢くなったけど……
ローマのコロッセオで奴隷を闘わせていた2000年前から、魔女狩り、奴隷狩りの時代を経て、人類は「人権」という考え方によって、この約1世紀で飛躍的にスマートになったと思います。それでも、「人類愛」とでもいうべき博愛精神が人間の行動原理になるところにまでは達していません。私が世界各国を旅して思うのは、今でもこの世界の本質は、結局は有限の資源の国と国との奪い合いだ、ということです。そのためには少々口汚い言説を使ってでも相手を辱め、貶める。それに完全に目をつぶったら、平和ボケと言われてしまいます。
戦争や虐殺はこれからも起こるでしょう。そのとき頼れるのは、結局のところ同胞であり、家族であり、最後には自分自身しかいないということが、この映画でよくわかります。
人々の表情は穏やかながら、どこかに悪夢の面影を残す首都・キガリ中心部のビジネス街
「この映像を見た世界の人々はどうするか」
彼が続けた言葉はどちらだと思いますか?
1、 世界の人々が連帯して虐殺阻止のために動き出す
2、「怖いね」と言いながらディナーを続ける
正解は映画のなかで。
DATA
ホテル ルワンダ
監督:テリー・ジョージ
公開:2004年
時間:122分