記憶に残ったレースクイーン34人!
早いもので私がガイドになって17年。スーパーカーブーム世代でコミック『サーキットの狼』に心躍らせていた小学生が、まさか大人になってレースクイーンを撮ることになるなんて夢にも思いませんでした。今回はアラフィフになった私が、年代ごとに記憶に残っているレースクイーンをピックアップ。その娘の素晴らしさを振り返りつつ、当時のレースクイーン事情や取材こぼれ話などをお伝えできればと思っています。
お宝画像も満載ですので是非、最後までご覧下さい(レースクイーン個人名の表記は現役当時のものです)。
<目次>
- レースクイーンって何!? 今さら聞けない基本
- 第二次レースクイーンブーム到来!
- 第三次レースクイーンブームを牽引したのは吉岡美穂ちゃん!
- 2001年、矢沢サーキットデビュー!!
- 2001年/インリン・オブ・ジョイトイ・小野寺皐
- 2002年/若槻千夏・須藤寛子
- 2003年/坂間恵・諸岡愛美
- 2004年/田中かおり・鈴木杏奈
- 2005年/真崎麻衣・鈴木礼央奈
- 2006年/夏菜・山崎みどり
- 2007年/中山エリサ・実はる那
- 2008年/大矢真夕・森木美和
- 2009年/森田泉美・菜々緒
- 2010年/鎌滝えり・黒沢美怜
- 2011年/角田香澄・成島桃香
- 2012年/佐崎愛里・立花サキ
- 2013年/橋本雪乃・渕脇レイナ
- 2014年/あべみほ・浜田コウ
- 2015年/早瀬あや・斉藤絢女
- 2016年/荒井つかさ・忍野さら
- 2017年/宮越愛惠・市原彩花
レースクイーンって何!? 今さら聞けない基本
その前に、レースクイーンは何となく知っているけど詳しく知らないという方に概要だけ簡単にご説明しておきましょう。発祥は1984年の「鈴鹿8耐」と言われています(諸説あり)。そこでスポンサーロゴが入った水着の女の子をとあるチームが立たせ、それが波及。サーキット限定のキャンペーンガールが誕生しました。
世間的に存在を決定づけたのは89年。のちにバラエティタレントとして活躍する岡本夏生さんがパラソル、ハイレグ、ハイヒールを身にまとってテレビに登場。その刺激的な出で立ちがブームに火をつけました。
おりしもバブル全盛期。企業は税金対策のため湯水のように広告宣伝費を使い、モデル事務所から綺麗な娘を集めまくりました。今では考えられませんが、ファッション誌の専属モデルがレースクイーンを兼任することも珍しくなかったのです。
ポテンシャルの高い娘が集まり、マスコミも注目すれば将来も華々しいもの。卒業後はタレント、歌手、女子アナとして活躍する娘が数多く現れ、レースクイーンは芸能界の登竜門のようになっていきました。今でいう読者モデルのような位置づけです。
第二次レースクイーンブーム到来!
しかし、そんなレースクイーンもバブル崩壊とともに徐々に衰退していきます。再び脚光を浴びたのは96年ごろ。テレビ東京で放送が始まった『出動!ミニスカポリス』に当時人気だったカモメレーシングチームのレースクイーン3名が大抜擢されました。TBSでは深夜の情報番組『ワンダフル』にレースクイーンが多数出演。テレビ朝日の『トゥナイト2』では頻繁にレースクイーンが取り上げられました。鈴木史華さん、相沢真紀さん、片石貴子さん、須之内美帆子さん、七森美江さん、吉永千夏さんといった面々が深夜番組を足がかりにブレイクしていきます。中でも鈴木史華さんは、それまで高飛車で近寄り難かったレースクイーンのイメージを一新。優しい顔立ちと抜群の記憶力でファンを次々と認知。身近な存在になることで人気を博しました。
第三次レースクイーンブームを牽引したのは吉岡美穂ちゃん!
第二次レースクイーンブームが去ったあと、少し間を置いて2001年から第三次レースクイーンブームがやってきます。当時レースクイーン界を牽引したのは吉岡美穂ちゃん。彼女はグラビア誌や撮影会を中心に人気を獲得していきます。今でこそAKB48のような人気グループが握手会を開催したり、地下アイドルやご当地アイドルなどアイドルが身近な存在になっていますが、この頃は、直に話ができて写真が撮れる存在はレースクイーンくらいしかいませんでした。身近なアイドルは、レースクイーンの専売特許だったのです。
そのため、レースクイーンもかつてのような綺麗だけど近寄りがたい娘よりも、フォトジェニックで親近感を持たれる娘の方がファン受けするようになっていきます。
その最たる存在が吉岡美穂ちゃんと、人気を二分した牛川とこちゃんです。デビューと同時にブレイクした吉岡美穂ちゃんに対して着実にファンサービスを積み重ねてきたのが牛川とこちゃん。タイプは異なりますが、身近な存在としてファンに親しみを持たれていたことは共通しています。
2001年、矢沢サーキットデビュー!!
一方、その頃の私はというと田舎の会社勤めをしていました。95年、インターネットに触れ、その可能性に惹かれるようになります。そこで30歳の節目に脱サラ。All Aboutのガイド募集に応募し、レースクイーンガイドになります。なぜ、レースクイーンだったのか? 今だから言えることですが、すべて戦略的でした。当時の私はレースクイーンのことをほとんど知りませんでした。ただ、ネット上に散在するファンサイトの多さから潜在的なファンが数多くいるのは確か。それらの情報をひとまとめにし、さらに自分自身でもオリジナル写真をアップできれば最強の情報サイトにできると思ったのです。
しかし、ここで壁にぶち当たります。私はレースクイーンのことも知らない上、カメラを握ったこともなかったのです。ファンの人たちがバズーカのようなレンズをつけているのに、マスコミがそれに負けるわけにはいかない。とりあえず、中古で一眼レフとレンズ3本を買って形だけ整えました。言わばハッタリから全てが始まったのです。
2001年/インリン・オブ・ジョイトイ・小野寺皐
そんな中、強烈だったのがインリン・オブ・ジョイトイ。このあとすぐエロテロリスト、M字開脚の女王として独自路線を進む彼女も1年だけレースクイーンをやっていたのです。しかも、吉岡美穂ちゃんと同じチームで。印象が強烈だったのは、サーキットで初めて撮影したのがインリンだったという個人的な理由によります。
先に言ったように、初心者丸出しだった私に彼女は強烈すぎました。コスチュームはもうはち切れんばかり。ボリューミーなプロポーションに愛くるしい表情。完全にノックアウトされました。
派手でゴージャス系な顔立ちの娘が集まっている中、彼女だけ控えめな美しさがあり逆に興味をそそられました。清楚なイメージとコスチュームのギャップに萌えたことを覚えています。
2002年/若槻千夏・須藤寛子
その中に若槻千夏ちゃんがいたのです。当時17歳。「with」目当ての新規ファンが多数サーキットに押し寄せ、スタート前のグリッドウォークが騒然となることもありました。デビュー当初からそのくらい注目されていたのです。
その年、レースクイーンに転身した彼女はレースクイーン界に喝を入れるかのような存在。可愛らしく親近感を覚える娘が人気者になっていく中、かつてレースクイーンのイメージだった高飛車で近寄りがたい雰囲気を醸し出し(本当は姐御肌のいい人です) 往年のファンを次々と従えていきます。そして、あっという間にトップレースクイーンに。私も彼女を撮るのが楽しみでした。
そんな私は、この年にフィルムカメラからデジタル一眼レフに持ち替えました。デジタルは現場で画像を確認できたり、枚数を気にしないでシャッターが切れたりする便利さがある反面、画角が大きく変わったり、ホワイトバランスなど映像の知識がスチールでも必要とされるようになり、戸惑ったことを覚えています。
2003年/坂間恵・諸岡愛美
その中でダントツ美脚だったのが坂間恵ちゃんでした。生で見た彼女の脚は本当に惚れ惚れするもの。ファインダー越しに見とれながらシャッターを切ったものでした。
グラビア体型と愛嬌のある性格でまわりから好かれ、卒業後はTBS『王様のブランチ』でレポーターとして活躍しました。
個人的に印象に残っているのは目がとても光に強いこと。屋外での撮影ではレフ板というものを使って光を被写体に向けて反射させます。中には眩しくて目を開けていられない娘もいるのですが、彼女は強烈な光を当てても目を閉じることはありませんでした。屋外で人前に立つレースクイーンにとって、光に対する強さはかなり大事な要素だと彼女を通して知りました。
2004年/田中かおり・鈴木杏奈
その先駆け的な存在が田中かおりちゃんです。この年、彼女はレースクイーン3年目。身長はそれほど高くはありませんでしたが、抜群のスタイルバランスと端正な顔立ち。そして関西弁が大きな魅力でした。
そんな彼女の性格をさらに裏付けるエピソードがあります。その後ミニスカポリスになった彼女。お披露目取材を終え帰ろうとする私を見つけると、1人でわざわざ玄関まで駆け寄って来て「ありがとうございました!」と丁寧に挨拶。出演者でそんなことをするのは彼女だけでした。結婚後、入院した旦那を支え実業家として財を成した時も、驚きよりもむしろ彼女らしいな……と妙に納得したものでした。
2005年/真崎麻衣・鈴木礼央奈
しかし、撮影してみて「この娘は行ける!」と踏んだ私は、なりふり構わずプッシュ。翌年「SUPER GT」の人気チームの一員となり「レースクイーンアワード」グランプリ、翌々年には「SUPER GT」のイメージガールとしてトップレースクイーンに上り詰めていきました。もちろん、彼女の頑張りや周囲の後押しもあってのことですが、人気者が出来上がっていく過程で一役を担えた喜びは彼女を通して得たものでした。
2006年/夏菜・山崎みどり
スズキ系のワークスチームに所属していた彼女はレースクイーンというよりアナウンサーにいそうな雰囲気を醸し出していました。レースの仕事よりCMモデルや女優業が主軸だったことから、レースクイーンとしてはブレイクしませんでしたが、記憶に残る1人です。
個人的に強烈だったのは写真の「JOMO」のコスチューム。こんなセクシーなコスチュームをカッコよく着こなせるのは彼女しかいません。当時はまだギャルっぽさが残っていましたが、仕事ぶりは素晴らしく、キャリアを重ねるにつれ彼女に憧れるレースクイーンが激増していきました。正に牽引役だったのです。
2007年/中山エリサ・実はる那
私も水着姿をいくどとなく撮らせて頂きましたが、それはもう芸術品のようなものでした。そんな彼女はこの年、下着メーカートリンプのイメージガールにも大抜擢。レースクイーンとしては短命でしたが、印象深い娘でした。
他の娘とあまりに枚数に差があったため、チームの女性担当者に「矢沢さん、はるちゃんばっか撮り過ぎ!」と突っ込まれたことも。彼女がサーキットにいた4年間は彼女を撮るのが楽しみで行っていたと言っても過言ではありません。
2008年/大矢真夕・森木美和
追ってSNSが立ち上がり他の娘と足並みが揃いましたが、私と同じように注目していたファンは多かったようで、一躍人気レースクイーンに。写真の08年当時は、カリスマ的な人気を誇っていた山崎みどりちゃんと同チームで人気を二分するほどでした。そしてこの年「レースクイーン・オブ・ザ・イヤー08-09」を受賞。納得です。
2009年/森田泉美・菜々緒
水着グラビアも撮らせてもらいましたが、こんなにスレンダーなのに巨乳というギャップもグッド。思いがけない贈り物をもらったような気分でした。
最終審査に残った娘の中でもダントツの素材。そこで所属事務所にお願いして、プロフィール写真を撮らせてもらいました。その写真を元に、彼女は雑誌『PINKY』モデルオーディションで「プリンセンスピンキー」で準グランプリ、「三愛水着キャンペーンガール」、東京ガールズコレクションの新人モデルオーディション「ミスTGC」グランプリと、わずか1年の間に次々とタイトルを獲得。
特に「ミスTGC」のでは発表の場を取材していたこともあり、彼女の名前が呼ばれた時には身内が受賞したかのような高揚感がありました。その頃から逸材だと思っていましたが、まさか今ほどの活躍を見せるとは夢にも思いませんでした。
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