東京の酒都・立石、イマの風景を記録する
1964年(昭和39年)の東京五輪を境に、東京の街は大きく変わったと言われている。そして2020年に開催される東京五輪に向けて東京の街は再び大きく変わろうとしている。前回同様に消失してしまう風景も多数あるだろう。そんな風景を散歩しながら記録していこうと思う。
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さて、今回の消失しそうな風景を見に行くのは東京の酒都、呑兵衛の聖地ともいわれている立石。小さなアーケード商店街がいくつかあり、路地に商店がひしめいている。ここも再開発については、何年も前から言われているのだけれど、いよいよ工事が始まったようだ。
というわけで、5月某日の金曜日、14時ちょうどに京成立石駅でAll About編集部のOくんと待ち合わせをした。Oくんといっしょにやってきたのは新入社員だというM緒さん。そういえば、去年の今ごろ、M恵さんという新入社員と赤羽線を散歩したことが思い出される。
高架化する京成立石駅、高層のビルも建設予定
京成線電鉄押上線は東西に走っている。現在の京成立石駅は、ホームがふたつある相対式ホームで地上にある。改札部分は2階にあり、出口は階段を下る。線路の北側に出る口と南側に出る口があるが、いずれも降りれば踏切に出る。この踏切や駅などの線路が高架になる。前述したようにすでに工事は始まり、完成の予定は2023年だというから、東京五輪のころはまさに工事の真っ最中。線路の高架にともなって、駅の北側、南側にも高層のビルが建設されるようだ。いまとはかなり景色も変わっているだろう。
さて、現在の立石駅周辺を見て歩こう。駅の北側にも南側にも個性的な飲食店が多い。南側には、立石駅前通り商店街や仲見世通り商店街などがある。立石駅前通り商店街にはコンビニやチェーン店があるどこにでもありそうな普通の商店街なのだが、仲見世通り周辺は立石ならではの空気が感じられるホットゾーンだ。
開店前から行列ができるお店『宇ち多゛』があるのも、仲見世通り。もつ焼きなどを始めとしたもつ料理のお店だ。この日も、開店前だというのにすでに長い行列ができている。Oくんが「M緒さんが行きたいって言ってた店ですよ」と言う。このお店、ふたつの通りに面していて、入口専用と出口専用があるのだけれど、開店前は出口の前にも行列ができる。お店独自のルールもあって、難易度が高いと言われている店だ。この行列を見たM緒さん、尻込みをしている。
僕は一度行ったことがあるけれど、独特の雰囲気だった。もつ料理はどれもほかでは食べたことのない旨さで驚かされた。そして、なんだかしこたま飲んで酔っ払った思い出がある。たぶん、ここでしか食べられない味だからこそ、行列するんだろうね。
さらにもうひとつの行列店が『宇ち多゛』の入り口側の路地にある『栄寿司』。立ち食いながら素晴らしいクオリティのお寿司がいただけるお店だ。しかも、安い。立石で昼飲みハシゴ酒をするにはではここを一軒目にする人が多い。軽く寿司をつまみ、『宇ち多゛』の行列に並ぶ、というわけだ。
仲見世通りは小さな商店街で道幅も狭いのだけれど、お惣菜を売るお店、洋装店、甘味処などが並んでいる。昭和で時間が止まったようなかんじだけれど、活気はある。
さて、踏切を渡って、北口へ行ってみよう。
かつては花街もあった立石
踏切を越えて北口へ。南口と同じ駅通り商店街が続いている。こちらはアーケードなし。マツモトキヨシやケータイショップなどがあり、ごく普通の商店街というかんじだけれど、その中で異彩を放っているのが『鳥房』だ。創業は1954年(昭和29年)の鶏肉専門店。建物は木造の看板建築で、昔の商店兼住居といった趣だ。こちらの名物は「若鳥唐揚 時価」。鳥の半身を素揚げしたものだ。時価といっても大きさによって変わるのだそうで、大体600~700円くらい。
揚げたての若鳥唐揚が食べたいというお客さんのために、創業の翌年、お店の後ろに居酒屋スペースを設けたそうだ。そういう流れもあって、ここでは必ずひとり1個は唐揚げを注文しなければいけないローカルルールがある。お店は朝の8時からやっているが、居酒屋スペースが開くのは16時から。再開発が進むと、こういった趣のある建物も消えてしまうかもしれもない。
鳥房の角を右に曲がると、立石の象徴ともいえる“あのゲート”が見えてくる。『呑んべ横丁』と書かれた看板だ。ここをくぐると、呑んべ横丁が線路方向へ広がっているのだが、いまは営業している店も少なく、ちょっとゴーストタウンのようだ。
その先へ行けば『江戸っ子』という居酒屋がある。ここも16時オープンでまだ暖簾は出ていない。店内では、お店の方が仕込みで忙しそうだ。行列必至の人気店。
再び鳥房がある駅前通り商店街へ。交番のところの道を入っていくと、迷路のような路地に夜からオープンするのか、スナックなどの飲み屋がある。「このあたり、花街があった場所ですよ」とオールアバウトのふたりに教えると、Oくんが「赤線ですか? 青線ですか?」と聞く。これにM緒さん、「その、赤とか青ってなんですか?」の質問にOくん答えて、「赤線というのは公認の売春地域で青線は非公認なんですよ」。「そうそう、所轄の警察署が地図に赤い線でその地域を囲んでいたんで、赤線」と僕。Oくんが「日本では1958年(昭和33年)まで、売春することを国が認めていたんですね。で、ここで売春していいよってところが赤線。こっそりやってたのが青線」と説明し、なんだかわかったようなわからないような表情のM緒さん。
立石の赤線は、亀戸天神の裏で営業していた業者たちが空襲に遭って立石に移ってきて、営業をしたというのが最初だったようだ。それが1945年(昭和20年)6月。終戦間際のことだ。たぶん、このあたりの景色も再開発後は一変してしまうのだろう。
カツカレーは『ゑびすや食堂』で!
さて、Oくんがいるので、カツカレーをどこかで食べよう。南口に戻って、再び、仲見世通り。そういえば、このあたりは戦後闇市だったそうだ。すでに『宇ち多゛』さんもオープン。出口側には行列がなく、入口に長い行列ができていた。先ほど見たときは並んでいるのは男性ばかりだったが、いまは若い女性の姿もある。アーケードのないエリアへ。こちら『ゑびすや食堂』さんでカツカレーをいただこう。ちなみにこの辺りのエリアは、再開発で残るのか無くなるのか微妙な場所だ。
こちらのお店、朝の8時半からやっているのがうれしい。普通にご飯を食べている人もいれば、お酒を飲んでいる人もいて、なんだか自由なかんじ。
せっかく立石に来たので、お酒でもいただこう。小ビールでいいかな……と、3人分注文したところ、これがビールの小瓶だった。だったら、大瓶を1本たのんだほうがよかったなぁ……と反省。料理はハムカツ、肉豆腐で乾杯。カツカレーはメニューになかったが、M緒さんがお店の人に大声で「カツカレーください」と注文。何事もなかったように注文が通った。
がっつり食べて飲んで、再び歩きはじめた。これまで駅周辺を歩いてきたので、少し駅から離れることに。北口からさらに北へ。住宅街が広がっている。住宅街はごく普通の景色が続いている。立石5丁目に葛飾区役所があった。
梅田小学校や梅田というバス停があった。大阪出身だというM緒さん、東京で梅田の文字をみるとはとちょっと驚いている。しかし、東京と大阪には同じ地名がずいぶんある。代表的なのが日本橋だが、東京は「にほんばし」と発音するが、大阪では「にっぽんばし」という。
お惣菜角打ちの『倉井ストアー』でへべれけになる
さて、もう少し住宅街を歩き、立石2丁目にたどり着いた。ここには、スーパーのようなお店、『倉井ストアー』がある。ここは、立石の中でもちょっと変わったお店なのだ。お惣菜などを売っているお店なんだけれど、イートインスペースがある。お酒はスーパーのようにビールや缶酎ハイが並んでいるので、そこから持ってきてテーブルで飲むのだ。
きょうはあまり飲まないと言っていたOくん、缶酎ハイを2本飲んだあたりから「いやぁ、いいお店を紹介してくれてありがとうございます」と何度も繰り返し、何度も酒を取りに行っている。お惣菜はポテトサラダに野菜炒め、天ぷらなどをいただく。Oくん、へべれけ。ちなみにお値段は1人700円ちょっと。すごー!
というわけで、夕方、駅方向へ歩く。立石駅近くになると、呑兵衛たちがふらふらしている。僕らも同じだ。