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佐賀のひょうきんで愛らしい郷土玩具・尾崎人形

佐賀県で見つけた、ちょっとへっぽこで風変わりな郷土玩具「尾崎人形」。焼き物の土人形ですが、実は有田焼よりもさらに古い、700年の歴史があるといわれています。尾崎人形の工房を訪ねてみました。

江澤 香織

執筆者:江澤 香織

雑貨ガイド

尾崎人形の工房にて。ガラスケースの上に乗った左端のオレンジ色の人物は近年復刻された「長太郎」。隣は「兵隊さん」。どこかとぼけていて、間の抜けた表情がいい。

尾崎人形の工房にて。ガラスケースの上に乗った左端のオレンジ色の人物は近年復刻された「長太郎」。隣は「兵隊さん」。どこかとぼけていて、間の抜けた表情がいい。

 
土人形は昔から全国各地で作られており、その土地の人々に愛され、長く続いてきたのだろうと思います。お祝い事や祈り、願いなどが込められているものも多く感じます。地域によって描き方にもそれぞれ特徴が出ますが、たくさんある土人形の中で、おや?と目を留めずにいられなかったのが、佐賀県で作られている「尾崎人形」でした。他のものに比べて、妙にほんわかとしたヘタウマな顔付きなのです。

そもそもモチーフがユーモラスで、おっとりとした雰囲気の鳩笛の他、長太郎と名付けられた半裸の子供やら、お相撲さん、子供を抱っこした性別不明の人物などがあります。絶妙にゆるい筆さばきで描かれた人形の姿かたちは、素朴で気取らない、優しい温もりが感じられます。どれも笛になっていて、ぷーっと鳴る、柔らかい音色にも癒されます。

700年以上の歴史。有田焼より古い、佐賀最古の陶磁器

尾崎人形が誕生したといわれる佐賀県神埼市神埼町尾崎地区は、有明海から少し内陸に入った佐賀県東部にあります。工房は、普通の民家の一角にありました。本当にここですか?と驚いてしまうような、小さなプレハブ小屋です。8畳くらいの部屋が作業場になっていました。

この工房の主は、「尾崎人形保存会」の高柳政廣さん。現在、尾崎人形を作っているのは高柳さんお一人です。かつて、この地区で唯一の継承者だった八谷至大さんが2009年に83歳で亡くなり、しばしの間は作り手が誰もいませんでした。高柳さんは、父親が尾崎人形を作っていたことがあり、自身も八谷さんに師事していた経験があったことから、型や窯を受け継ぎ、制作を引き継ぐことになったそうです。

ガレージにこの表示のみ。

工房の目印は、ガレージにこの表示のみ。

この小さなプレハブ小屋が工房です。

この小さなプレハブ小屋が工房です。

尾崎人形の作り手、高柳政廣さん。鳩笛の絵柄の法被を着てくれました。

尾崎人形の作り手、高柳政廣さん。鳩笛の絵柄の法被を着てくれました。


尾崎人形は、神崎町尾崎西分地区に伝わる焼きものの人形で、佐賀県内陶磁器の中で最も歴史的に古く伝統を残しています。伝承によると「弘安4年(1281年)蒙古が襲来した元寇(弘安の役)の際、捕虜になった蒙古軍の兵隊が人形を作って吹き鳴らし、遠い祖国を偲んでいた。そして技術は地元民に伝わり、焼き物が盛んになった。」と言い伝えられています。この焼き物はやがて尾崎焼として、瓦、火鉢、鉢物類を焼くようになり、江戸時代には佐賀藩から幕府への献上品のひとつともなりました。 (工房にあった説明資料より)

尾崎人形は実に700年以上の歴史がある、佐賀県内で最も古い陶磁器といえます。

鎌倉時代中期に起こった元寇は、その時代に勢力を伸ばしていたモンゴル帝国が、家来のような立場でもあった高麗王国と共に、日本を侵略しようとした歴史的にも重大な出来事。蒙古に属することを断固として拒否した日本は、送られてきた使いの者を全員処刑してしまいました。怒った蒙古軍は日本の倍以上の大部隊で攻め入ってきましたが、奇跡的に巨大な暴風雨が起こり、ほぼ全滅してしまったということです。その時に生き残り捕虜となった人たちが、この土人形を伝えたと考えると、なんとも壮絶な人生が背景にあります。

蒙古軍と言えど、実際に戦っていたのは高麗の人も多かったようで、焼き物が作れたことを考えても、この捕虜たちも高麗人だったのかな?と考えてしまいます。当時蒙古にやむなく従っていた高麗人たちは、本当は戦争なんかに行きたくなかったかもしれません。真面目で慎ましい職人さんだったのではないか、と想像を巡らせてしまいます。地元の人から畑を借り、農作物の作り方を教わるなど親切にされた、そのお礼に焼き物の作り方を教えていたのではないか、と高柳さんは話していました。

ガラスケースに作品が並ぶ。下の段は先代が作ったものだそうです。

ガラスケースに作品が並ぶ。下の段は先代が作ったものだそうです。


長く愛されている定番人気の鳩笛

尾崎人形の代表的なものに「鳩笛」があります。小首を傾げるように少しだけねじれているのは、全国にある鳩笛の中でもここだけの独特の形で、捕虜たちの祖国の方向を向いているといわれています。カラフルな3色で着色されており、赤は蒙古人の血の色、青は平和、黄色は自然を意味しているともいわれますが、高柳さんの話では、当時は色を付けていなかったのではないかとのことでした。

またこの鳩笛は「テテップウ」と呼ばれるのですが、その言葉は「不器用」のような意味合いで、お酒や歌を勧められたとき、「私はテテップウですから」と言って断る時に使うそうです。なんだか可愛らしい言葉です。照れ屋な職人さんを連想させます。高柳さんにもちょっとそんな雰囲気があります。

鳩笛、水鳥、赤子を抱いた子守の3つは、700年前からある形だそうです。実際に当時の型も残っているそうで、工房のすぐ近くの竹林から出てきた、という古い型を見せていただきました。工房の近くには、蒙古人の屋敷跡があります。

左から、水鳥、鳩、ヒバリ、スズメ。シンプルな色使いで、愛嬌のある顔立ちです。

左から、水鳥、鳩、ヒバリ、スズメ。シンプルな色使いで、愛嬌のある顔立ちです。

近くの竹林から出土したという、おそらく700年前の型。

近くの竹林から出土したという、おそらく700年前の型。


少し物悲しい歴史を持った土人形ですが、今の平和な時代にほのぼのと楽しめるのはありがたいことです。地元の土を使い、先代から譲り受けたアメリカ製の古い電気窯を使って800℃で6時間半ほど焼きます。20日に1回くらいの頻度で、1回に150~200個くらい焼くそうです。アクリル絵の具を使い、最初に白く下地を塗って乾かしてから、順に色付けしていきます。笛は昔からあるものですが、頼まれて土鈴を作ることや、干支の人形、お正月の縁起物を作ることもあるそうです。

とぼけたような独特の表情は高柳さんならではのもので、そういえば、朴訥としながらも飄々とした雰囲気を持つ高柳さんの人柄が反映されているように思います。「人の真似はしたくないと思っていますが、私の顔に似ている、と人から言われることも多いです」と高柳さん。絵付け体験のワークショップも時々行われ、白地の人形に自由に顔や模様を描くことができます。多くのクリエイターが参加して、自分だけのオリジナル尾崎人形を描く、というイベントが行われたこともありました。

尾崎人形の型。24,5種類あるそうです。

尾崎人形の型。24,5種類あるそうです。

型抜きした状態のものがずらっと並んでいました。

型抜きした状態のものがずらっと並んでいました。

窯はかなり小さなサイズ。

窯はかなり小さなサイズ。


最近は民芸店や雑貨店でも購入できるところがありますが、たった一人で手作りでの制作のため、なかなか数はできません。もし見つけたらラッキーです。工房を訪ねる場合は事前に連絡をし、ご迷惑にならないようご配慮ください。工房に行っても在庫がないということも多いのでご注意ください(私達が訪ねた時もすっからかんでした)。

「遠くから人が来てくれることが増えた。人に会えて、喜んでもらえるのはとても嬉しい」という高柳さん。ご本人に会うと、尾崎人形が醸し出すほんわかとした雰囲気の理由がちょっとわかるような気がして、ますますこの人形の魅力に惹きこまれそうです。

尾崎人形好きのデザイナーさんが、長太郎の型を元に、高柳さんに似せて描いてくれたものだそう。ちゃんと鳩笛を持っています。

尾崎人形好きのデザイナーさんが、長太郎の型を元に、高柳さんに似せて描いてくれたものだそう(非売品)。ちゃんと鳩笛を持っています。


■関連情報
尾崎人形保存会
佐賀県神埼市神埼町尾崎639−1
0952-53-0091

以下でも尾崎人形が購入できます。

佐賀一品堂
佐賀市唐人1-1-13
070-5276-2797
営業時間:11時~19時 定休日:火曜日
http://sagaippindou.com/


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