平和な気仙沼を取り戻すために小さな食堂がシンボルに
東日本大震災から5年。完全な復興まではまだまだ長い道のりながらも、一歩ずつ復興に向けて歩み始めている宮城県気仙沼市に、2015年11月、一軒の小さな食堂が「復活」しました。その食堂の名前は「かもめ食堂」。1942(昭和17)年に創業した、気仙沼のシンボルとも呼ぶべき食堂は、定食や丼ものなどが揃う町の人に愛された店でした。しかし、経営者の高齢化や後継者不足によって、2006年に惜しまれつつも閉店。閉店後も店舗は残っていましたが、5年後に東日本大震災の津波によって全壊してしまいました。そんな中、震災による気仙沼の被災、そしてかもめ食堂の全壊に心を痛めていた一人のラーメン職人がいました。その人の名前は千葉憲二さん。東京葛西の人気店「ちばき屋」の店主にして、日本ラーメン協会の理事長として長年業界の活性化に尽力して来た千葉さんは、宮城県気仙沼市の出身。幼い頃父親に連れて行かれて、初めて食べたラーメンがかもめ食堂のラーメンでした。いわばかもめ食堂は千葉さんとラーメンを最初に結びつけた店であり、かもめ食堂のラーメンはラーメン職人千葉憲二さんの原点の味でもありました。
震災後に、幾度となく気仙沼を訪れて炊き出しなどを行い、被災者と触れ合っていく中で、いずれ復興を象徴するシンボルが必要になると感じていたという千葉さん。かもめ食堂は気仙沼の人々にとって日常の食堂。日常であるからこそ、震災前の平和な気仙沼を象徴するものであり、復活することによって笑顔が戻るのではないか。そう考えた千葉さんは、気仙沼にかもめ食堂を再興することを決意したのです。
ラーメンを通じた復興支援を
かもめ食堂が復活すれば、観光資源の一つとして多くの人が気仙沼に来る他、地元の雇用も増えるはず。千葉さんは気仙沼市と何度も折衝を重ねていきましたが、震災後は復旧もままならず建築制限も敷かれていたため、すぐに復活させることは不可能だと分かりました。そのことを聞いた新横浜ラーメン博物館館長である岩岡洋志さんは、建築制限が解除されるまでの間、新横浜ラーメン博物館に期間限定でかもめ食堂を復活させて、首都圏から気仙沼の魅力を発信してはどうかと千葉さんに提案。そうして2012年2月、かもめ食堂は新横浜の地に復活を果たしたのです。
新横浜ラーメン博物館で、新生「かもめ食堂」は多くの人が訪れる人気店となり、新横浜ラーメン博物館と一体になって気仙沼の魅力を発信し続けました。そして2015年4月、3年2ヶ月の営業をもって新横浜ラーメン博物館を卒業。区画整理も終わり建築制限も解除された気仙沼港の地でのオープン準備を進め、震災から5年近くが経った2015年11月、旧店舗から数百メートル離れた港に面した場所にようやく復活を果たしたのです。
これからの子供たちの思い出の店として共に歩む「かもめ食堂」
復活の朝。前日までの荒天が嘘のように、雲一つなく晴れ渡った気仙沼港に、真っ白い暖簾が掲げられました。そして、かもめ食堂の復活を待ちわびた多くの気仙沼の人たちがオープン前から行列を作りました。店から見える気仙沼港には、多くの漁船と共に空を飛ぶかもめの姿もありました。ラーメンは以前のかもめ食堂で出されていたものをイメージしつつも、千葉さんが新たに作り上げたオリジナルの味。鶏ガラ、煮干しなどでとったスッキリとしたスープには地元気仙沼の特産品であるサンマの香油を浮かべ、細く縮れた特注麺は千葉さんが初めてかもめ食堂で食べた時の麺を表現しました。食べた人が新しさと共に懐かしさも感じる優しいラーメンは、復活を待ちわびていた多くの気仙沼の人々に笑顔をもたらしました。
「気仙沼が元気になるには、まずは港が元気にならないと。この店が港に賑わいを取り戻す灯りの一つになれば嬉しいです。先代のかもめ食堂のラーメンが自分の思い出の味になっているように、これからの子供たちの思い出の味になって欲しいと思います」と語る千葉さん。震災から5年経った今も復興は道半ばですが、復活したかもめ食堂には震災前と変わらぬ人たちの笑顔がありました。
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■かもめ食堂
住所:宮城県気仙沼市港町1-10
TEL:0226-28-9037
営業時間:10:00~14:30,17:30~20:30
定休日:無休
アクセス:JR線「気仙沼駅」より車で約10分
地図:Yahoo!地図情報