パーヴォ・ヤルヴィが引き出すN響の魅力・音楽の喜び
N響にこのポストが設けられるのは初で、ヤルヴィは文字通り初代となるが、彼の就任により、これまでも素晴らしい音楽を演奏してきたN響に“ある変化”が起きている。それはいい音楽を創り出すことにとどまらない、音楽をすることへの喜びの爆発だ。
現代最高の指揮者 パーヴォ・ヤルヴィ
音楽は芸術であり、芸術である以上は受け手による好みも存在する。そんな世界にあって、現代における最高の指揮者と誰もが認めるのがパーヴォ・ヤルヴィだ。世界的指揮者ネーメ・ヤルヴィを父として1962年のエストニアに生まれたパーヴォ・ヤルヴィ。米国に渡り、レナード・バーンスタインらに師事した彼は、2004年~ドイツ・カンマーフィル芸術監督、2010年~パリ管弦楽団首席指揮者を兼任し、2015年にN響首席指揮者に就任した。
そんなパーヴォの指揮のもと、昨年12月、恒例のN響「第九」演奏会が行われた。
パーヴォが描くベートーベン
パーヴォの描くベートーベンにはドイツ・カンマーフィルとの交響曲全集があるが、そこで打ち出されたのが、まだ誰も聞いたことのない新しいベートーベン像であるとして世界中の音楽ファンの間で大変な話題を呼んだ。パーヴォの描くベートーベンとは、ベートーベンが譜面に残した指示を忠実に守るというもの。その一つにテンポがある。
第九の譜面に書かれたテンポはとにかく早く、早すぎて演奏が難しいとして、これまで多くの指揮者はその指示とは異なるもっとゆっくりとしたテンポで演奏してきた。
だがパーヴォはベートーベンの残した指示を厳格に尊重する。
理由として次のように語っている。
「ベートーベンが晩年にメトロノーム記号を記入したのは、自分の意思を後世に伝え、できるだけ正しいテンポで演奏してもらいたいという思いがあったからです。ですから譜面が最優先なのです」(2015年12月31日放送「パーヴォ・ヤルヴィ指揮 N響「第九」演奏会)
だがそれは同時に、演奏が難しくなることも意味している。こうして2015年のN響「第九」演奏会となった。
「第九」のステージで起きた“とてつもないこと”
私はあくまでアマチュアの一音楽ファンに過ぎないが、ある合唱団の一員として第九の合唱に参加している。そのための「お手本」として、N響の第九演奏会は毎年楽しみにしてきた。いざパーヴォ指揮による第九を聴き、その新しさ、これまで聴いたことのない躍動感ある第九に感銘を受けている時、「ある感覚」に襲われた。
「今、“とてつもないこと”が起きているのではないか」という感覚だ。
それは演奏するN響の楽団員の表情を見た時であった。超一流の技術と経験をもつ彼らが、まるで初々しい少年や少女のように目を輝かせ、笑顔を浮かべて自信に満ちあふれた表情で演奏をしていたのだ。
その光景に私は衝撃を受けた。
同じくその光景を目にした日本室内楽振興財団元事務局長の鳥羽郁夫氏も、
「まさに音楽を作る喜びに満ち溢れていた。N響のプレイヤーがこれほどまでに幸福な表情を浮かべて演奏するのを私はかつて見たことがない」と語った。
パーヴォ・ヤルヴィが引き出すN響の新しい魅力
2015年8月24日付日経新聞Web「『N響は世界クラス』初の首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが語る」の中で、彼はN響について、「木管、金管、弦を含め、各楽器のセクションのソリストが優れている。しかも全員があるレベル以上の均等の演奏力を持っている。全員が均等な力を持つ大きなオーケストラは世界的にもまれだ。響きの力強さ、リズムの正確さ、丸みのある音色は素晴らしい」
と述べ、その能力、才能を評価している。
また、N響首席指揮者への就任会見では、「N響の伝統を尊重しながら、どんな新しい側面を引き出せるか、共に探求していきたい」と語っている。
つまり「第九」演奏会にて表れたのは、もちろん「音楽性」における新たな良さでありかつN響の新たな魅力であることは間違いないが、その魅力とは実はN響が本来持っていながらN響自身さえ気づいていなかったものではないだろうか。
それがパーヴォによって引き出され、「自分たちの本当の魅力に気づいた確信と喜び」が楽団員の表情に出ていたのではないかと私は思う。
全ての音楽ファンに向けられた「音楽をする喜び」
音楽を理解する際、難解な専門用語や高度な概念が用いられることがたびたびある。一部のマニアや専門家にとって、それは必要な道具な場合もあるが、音楽を楽しむという点においては必須なわけではない。例えば料理において、食材の産地や調理方法などを詳しく説明されなくとも、あるいは料理に関する専門知識などなくとも、本当においしい料理は食べただけでわかるものだ。
それと同じく、真に優れた音楽とは、一部のマニアだけに理解されるものではなく、音楽を志す者や音楽を愛する初心者のファンに理解され、感動を与えるものであるはずだ。
パーヴォは前出のNHKのインタビューで次のように語っている。
「プロの合唱団は優秀ですが、芸術家としての誇りがあるために真面目過ぎることがあります。その点、学生は思いきり弾けて、音楽をする喜びを全身で表して くれることが多いですね。この場に立つことができる高揚感が伝わってきて、私も嬉しくなるのです。第九の歌詞は喜びと幸せに溢れているので、若者たちが唱うのが一番だと思います」
つまり彼の創り出す音楽とは、一部の専門家や音楽家だけに向けられたものでは決してなく、「心と耳を開く全ての音楽ファン」に理解され、喜びを与えるもののはずだ。
それを何より代弁しているのは、少年のように目を輝かせ、喜びに満ちた表情で第九を演奏したN響楽団員の姿といえるだろう。
最高の音楽を聴くことができる幸運
2月にはN響定期公演でR・シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、ブラームス/ヴァイオリン協奏曲ニ長調などを指揮する。チケットはほぼ完売状態だ。前出の鳥羽氏も、ベートーベン「第九」での素晴らしさは特筆ものとした上で、「N響の新たな魅力を引き出し、大成功をおさめたヤルヴィが、さらにブラームスやブルックナーのもつ長大深遠な世界観をどう表現するかが楽しみでならない」と語っている。
パーヴォ・ヤルヴィとN響。彼らが創り出す個性的で素晴らしい音楽が日本の人々を魅了してやまない季節がいよいよ始まった。