特に目立ったハウスビルダーの意識の低さ
これは、オーストラリアには人が住むのに適した場所が少なく、内陸部は砂漠があったり環境が厳しい場所ばかりだからです。また、仮に居住に適した場所があっても、開発が進んでおらず、そのため新規の住宅地を作る場合、大規模なインフラ投資が必要で、このため土地価格が高くなり、結果的に一つの住宅の区画は小さめにならざるをえないのです。オーストラリアで新たに開発中の分譲住宅地の様子。平屋建て住宅がほとんどで、2階建て住宅は少ない。ここは比較的高額な分譲住宅地で、そのため空地を数多く設けるなどランドスケープに工夫がみられる(クリックすると拡大します)
私が注目していたのが、現地の住宅事業者の質。どんな施工をするのだろうかとみていましたが、施工現場には建設資材やゴミが乱雑に置かれ、とても質にこだわった住まいづくりが行われているとは思われませんでした。
今回、現地を案内してくれた方によると、基本的に同じような建物を同じように建てるため業者間に大きな差が見られず、施工レベルが低水準で推移しているとのことでした。ですから、欠陥の発生もよく問題になるそうで、なかなか改善されないとのことです。
また、性能に関しての意識もあまり高くないようでした。現地は大きな地震災害がこれまでほとんど発生しませんから当然、建物の強度や耐久性に関する配慮は少ないですし、それは省エネ性の向上についても同様です。
日本では普及が進んだ太陽光発電システムについては、新たに開発されている分譲住宅地でもほとんど設置されていませんでしたし、ましてやスマートハウスなんていう概念は皆無という状況でした。
こうした質や性能の低さは現地の消費者の住まいに対する低さも原因といえます。立地や敷地の大きさ、部屋数が善し悪しの主要な判断基準となっていること、さらに将来の売却する際の有利さを基準としているからです。
さて、日本では当然、このような新築住宅では通用しません。別にオーストラリアの住宅の質や性能の低さを強調したいのではありませんが、そのことを知ることで日本の住宅のあり方にをより良く理解できると思います。
「かゆいところに手が届く」日本の住まい
日本では歴史的に地震や台風など災害への備えが重視されてきましたし、資源が少ないため省エネに対する意識も高く、結果的に消費者の品質や性能に対する関心が高まり、住宅も高いレベルが求められてきました。少なくとも戦後はそうした方向性で住まいづくりが継続して行われてきました。また、狭い国土に1億人を超える人たちが暮らしているわけですから、効率的に空間を活用するための工夫や、自然の力をうまく活用して気持ちよく生活するための方法が数多く生み出されてきましたし、それが現代の住まいにも生かされています。
ですから、日本では一般的な新築住宅であっても一定レベルの品質や性能、信頼感があります。それが日本の住まいの良いところ。逆にいえば、厳しく多様な制約の中で住宅の取得をしなければいけないため、どうしてもそのコストは高くなります。
オーストラリアでは分譲住宅を購入するのが一般的で、それは住宅取得のコストを抑えることにつながっています。庶民が注文住宅で住宅を取得するスタイルが普及している日本は世界的にみてまれなのです。そのことが我が国の住宅取得を難しくさせている要因の一つだと思います。
住まいはその国の人たちの考え方、文化を反映するものですが、私は今回の取材を通じて日本の住まいづくりの質の高さを改めて認識しました。それは一言でいうと、「かゆいところに手が届く」というイメージです。
近年、日本を訪れる海外の方たちが、「おもてなし」の精神など、日本人のホスピタリティに高い評価をしていますが、オーストラリアの住宅事情を知ることで、住まいの分野にもそれが表れていると感じられました。