「いい子」とは大人にとって「都合のいい子」
親が考えるいい子の条件とは?
講演会などで会場のママたちにマイクを向けると、思いやりのある子、大人の言うことを聞く素直な子、ハキハキとして明るい子、あいさつのできる子……などの答えが返ってきます。世の中的には、どうもそういうのが「いい子」とされるようです。
では次に。大人になって必要な力って、どんな能力でしょうか。
同じくいろいろな人の意見を聞いてみると、コミュニケーション能力、チャレンジ精神、あきらめない粘り強さ、論理的思考力、問題発見能力、問題解決能力……などが挙げられます。ビジネス書なんかにもこういったことはたくさん書かれていますし、最近の学習指導要領でも重視されている能力です。これらを総称して「生きる力」とか呼んでいます。
「いい子」の条件と大人になって必要な「生きる力」の間に、だいぶズレがあると思いませんか。「いい子」の条件として挙げられたのは、言い換えてみれば「大人にとって都合のいい子」「育てるのにラクな子」といえるのではないでしょうか。でも、それが本当に「いい子」でしょうか。
子供は元来、親の言うことを聞かない生き物です。空気を読む能力なんてゼロに等しく、わがままを言い、それが通らないとかんしゃくを起こし、泣いて騒いだと思ったら急に甘えてみたり……。それが、ごく自然な子供らしい姿です。
特に男の子はその傾向が強く、「わんぱく坊主」や「やんちゃ坊主」であることが「自然」です。
「いい子」が思春期以降に荒れる理由
一方、「いい子」は、「親にとって都合のいい子供像」を押しつけられ、本当の自分を表に出せないでいる子供であると考えられます。いわば「不自然な子」です。脅すわけではありませんが、小さなころに「いい子」と言われていた子ほど、思春期以降に問題を起こす傾向が強いといわれています。幼いころに「いい子」で通っていた子供ほど、不登校、ひきこもり、非行、過度の反抗、キレやすくなるなどの問題行動を起こしやすいことを多くの専門家が指摘しています。
なぜ、「いい子」ほどあとで問題を引き起こすのでしょう。小さいころから「大人にとって都合のいい子」であることを押しつけられ、本来の子供らしさを失ってしまった子供は、「いい子」を演じ続けます。親を困らせないようにすることを第一に考えてしまう癖が身についているので、本心を隠しガマンを重ねるようになります。親は「うちの子は『いい子』」と思い込み、油断しているので、子供の本心に気づく機会がありません。
親の期待に合わせて見せる表向きの姿と、本当の自分の間に大きな乖離が生じるのです。それが爆発するのが思春期なのです。地震の起こる仕組みと同じです。プレートのひずみが大きければ大きいほど、大きな地震が起こります。幼いころから積み重なったひずみが、思春期に大地震を引き起こすのです。
思春期は、それまで信じて疑わなかった親の価値観から距離を置き、自分独持の価値観を構築するようになる時期です。親の価値観と自分の価値観との間にあるギャップが大きければ大きいほど、思春期特有の問題行動や反抗が極端に出るのです。
そこできっちり自己主張できれば、精神的に自立できますが、そこでさらに押さえつけられてしまうと、大人になっても生きづらさを感じ続けることになります。
「わんぱく坊主」「やんちゃ坊主」が自然な姿
でも、本来子供らしく健全に発育している「わんぱく坊主」や「やんちゃ坊主」が「困ったちゃん」とされて、「早くから大人の期待に適応している不自然な子」が「いい子」とされるのが、今の世の中です。「わんぱく坊主」や「やんちゃ坊主」には居場所がなく、その保護者も肩身の狭い思いをすることが多いことでしょう。母親として、「男の子の育て方」に違和感や疑問を持つ人も多いのでしょう。「男の子の育て方」に関するベストセラーが数多く存在します。どれも一様に「男の子をもっとのびのびと男の子らしく育ててあげよう!」と呼びかけています。裏を返せば、現実には男の子をのびのびとは育てにくい現状があるのです。
子育てとは、子供を一人の自立した人間として育て上げることです。「生きる力」を携えさせて世の中に送り出すことです。なのに、今の世の中は、「生きる力」を身につけさせることよりも「いい子」であることを子供に求めがちのようです。
幼児時代に「生きる力」を押さえつけ、「いい子」であることを求めておきながら、学校に入ってから「生きる力を身につけよう!」なんて慌てるのです。そりゃ、無茶ってものです。
「生きる力」なんて、学校で机に座って身につけるものではありません。もともと子供には生まれながらにして「生きる力」が備わっているのです。
関連書籍
『育てにくい男の子 ママのせいではありません』(主婦の友社)男の子育てが「わからない」「疲れた」と悩むママへ。子供の短所が長所に見えてくる!目からウロコの子育て論。