自分を偽っても構わない「プロ彼女」の考え方
いい嫁、いい妻のイメージに縛られるあまり、苦しくなることもある。
「結婚」という形をとれば、相手を独占できるという稚拙な考えが招いたことだ。相手に結婚してもいいかもしれないと思わせるために、今でいう「プロ彼女」に近い感覚で、何もかも赦し、包み込んだつもりだった。だが、それは自分自身を破綻させた。
自分を偽り、我慢しても、最終的に何もいいことはない。結婚生活は長いのだ。「彼のためだけに一生尽くし、彼が居心地がいいように家をととのえる」ことなど、めったにできない。
なぜなら、人は自分のために生きたいから。
この人となら、一生楽しく暮らせるかが基本
従順で完璧すぎるプロ彼女、ならぬ「プロ妻」におびえる夫。
「妻が完璧すぎるんだよ。仕事もしているのに家事は完璧。平日は『先に寝てて』と言っても起きて待っている。夜中に酔って帰ると、するりとお茶漬けがでてくる。なんかね、もう怖い」
従順な妻、決して裏切らない妻を望んだから結婚したのに、その言いぐさはないだろう。
「だけどさ、妻が完璧だと、無言のうちにオレにも夫として完璧であれとプレッシャーをかけられている気がするんだ。こんなことなら、もっとなんでも『適当な』女性を選べばよかったって後悔してる」
飲んでいると終電近い時間に、「今日も遅いの? あなたの体が心配」とメールが入ってくるのだとか。
「それだったら、早く帰って来いって怒ってメールしてくるほうが、まだ気が楽だよ」
わからないでもない。真綿でじわじわ首を絞められるような感覚。妻の本当の感情が見えてこないだけに、彼としてはどういう態度をとったらいいかもわからない。
「この人となら、きっと理想的ないい家庭が作れる。そんな思いで結婚するのは間違ってるんだよね。この人となら、一生楽しく暮らせるかもって相手を決めるほうがいい。後輩にはそう言ってる」
確かに。結婚生活なんて、何が起こるかわからない。人は生きていくだけで大変なのだ。だからこそ、この人となら大変なことがあっても、どこか楽しくやっていけるかも、と思えるのは決定的だろう。ものごとはシンプルに、そして自分が気楽で快適な方向に決めていくのがいちばんいい。