メジャー15年目にして訪れた投手デビュー
イチローの投手デビューは、1回を2安打1失点という結果に。
三回から右翼の守備についたイチローは、五、八回の打席はともに空振り三振に倒れた。しかし、「イチロー劇場」はこれからだった。2対6の八回にマウンドに上がったのだ。当然のごとく球場全体がどよめく。左足を大きく上げる大胆なフォームを披露。メジャー15年目でついに投手としてデビューした瞬間だった。
先頭の7番ヘレナに右翼線二塁打され、続くラップの中飛で一死三塁。スウィーニーにタイムリー二塁打を許したものの、ガルビスを二ゴロ、アルテールを左飛に打ち取り、1失点で切り抜けた。
レッドソックスの上原も脱帽した、驚きの球速
カーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップと多彩な変化球を交え、ストレートの最速は89マイル(約143キロ)。「ショックでした。最低90マイル(約145キロ)はと思っていたので」と球速に不満を持ったが、この球速を知ったレッドソックスの上原浩治投手(40)は、「俺よりも球が速い」と脱帽した。愛知・愛工大名電高時代は投手として活躍したイチロー。1996年の球宴第2戦(東京ドーム)、全セ・松井秀の打席で、全パの仰木監督はリリーフ投手としてイチローをマウンドに送った。これに対し全セの野村監督は「オールスターの価値が損なわれる」と投手である高津を代打に起用。遊ゴロに終わった。実は1カ月半前、このときの映像を見たジェニングス監督から「状況次第で投げてみるかい」とイチローは言われていたという。八回の打席前に自ら登板を志願。指揮官も即決し、ブルペンで肩を作ることなくマウンドに立った。
「二度とピッチャーの悪口は言わないって、誓いました」
打者を抑える難しさを実感したイチローだが、四球を連発することもなく、1失点なら合格点だろう。ちなみに、日本選手のメジャー初登板は、今季のインディアンス・村田透に次いで40人目。初登板の年齢では2009年のメッツ・高橋建の40歳0カ月を上回る最年長(41歳11カ月)となった。
今季はチーム最多の153試合に出場したが、打率.229はメジャー移籍後自己最低。安打も91に終わり、オリックス時代から21年続けていたシーズン100安打を逃した。しかしながら、メジャー通算3000安打まであと65本、ピート・ローズが持つ大リーグ歴代1位の通算4256安打まで日米通算であと43本に迫っている。マ軍のマイケル・ヒル球団本部長は、今季で契約が切れるイチローに「残ってくれればうれしい」と明言。フロリダの地でマイルストーンを迎えそうだ。