風水的に見て金運がいい人は、必然的にお金持ちになる
お金持ちになれる人とは
――風水にみる金運の良さを証明する、具体的なエピソードを教えてください。
Yuuさん 中国には、莫大な富や富豪を指す「陶朱(とうしゅ)の富」という故事があります。この語源になった、後に陶朱公と呼ばれる春秋時代・越の国の宰相は、軍人として成功したのち他国へ移住し商売を始めます。とても商売上手で瞬く間に巨万の富を築いたのですが、手にしたお金を惜しげもなく地域へ投資したり、貧しい人たちへ分け与えました。その手腕を見込んで移住先でも任官の誘いを受けますがそれを良しとせず、再び移住をします。次の土地でも取引に成功して、またしても短期間で多くの富を得ました。19年間で3回の成功を収めましたが、2回は地域や貧しい人に与え、最後は子孫に任せ穏やかな老後を楽しんだという人がいます。
この話は、まさに風水の考え方を象徴する代表的なエピソードで、お金は自分のところで堰き止めてしまわず、適切に使えば何倍にもなって自分に返ってくるという話。陶朱公は中国人なら誰でも知っている、お大尽の代名詞です。
――風水の教えは、中国人にとっては身近なものなのですね。逆に戒めとなっている話はありますか?
Yuuさん これも大変に有名な本ですが、中国の奇小説のひとつ「金瓶梅」の登場人物に西門慶という人がいます。薬の販売で巨万の富を得たのですが、自分の楽しみだけにうつつを抜かし富のほとんどを貯め込んだため、最後はあっけなく死んでしまい財産はむしりとられて一族は離散してしまったという話なのですが、これもまさに風水の極意。中国では、一族すべてが豊かになる事を良金運というのです。
日本も昔から風水を取り入れた街づくりをしていた!
――日本ではいつ頃から風水が取り入れられていたのでしょう?Yuuさん 飛鳥・奈良時代には伝わっていたといわれています。ちなみに、城郭都市だった平安京の地図を見ると、この時代には確実に風水的な考えがあったことがわかります。東西南北方向に四門があり、現在では名残として朱雀があるだけですが、当時には玄武、白虎、青龍も配され、鬼(悪霊)封じの羅生門もありました。さらに道路が東西南北に走っています。これは風水を考えて作られた証拠です。
――碁盤の目になっている京都が風水都市というのはわかりやすいですね。
Yuuさん 江戸の町も、平安京と同じように鬼門に対する考え方が持ち込まれているんですよ。鬼門にあたる北東には上野の寛永寺、裏鬼門の南西は芝の増上寺を配し、徳川家の菩提寺で守りを固めました。その他にも、神社や不動尊など、さまざまなもので江戸の町は鬼門封じをしています。徳川家300年の繁栄は、それらの積み重ねがあったからではないでしょうか。
文明開化を提唱した明治新政府も、風水的な考えで新都づくりを考えたようです。近代日本の風水は“魔を祓う”という怨霊信仰に基づいていたため、日本橋付近の欄干や橋飾りに今もその歴史が残っています。
★次は実際の風水の取り入れ方「玄関編」です!
教えてくれたのは……
Yuuさん
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風水監修/村上瑞祥
HP:家相・風水リフォーム Q&A
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取材・文/鈴木弥生