連載:「アラフォーの“傷跡”。ずっと誰かに言いたかった」第四回
「これまで誰にも言えずに、苦しんできたこと」をテーマに、アラフォー女性が背負っている様々な事情や悩みを聞く連載、第四回。両親が交通事故を起こしてから、人生が変わってしまった。掛け持ちする2つのパートと母の介護に明け暮れ、カオリさん(38歳=仮名)の日々はまったく先が見えない。
今年は「貧困」が、ひとつのキーワードになるかもしれない。シングルマザーや高齢者の貧困について、私たちは毎日のように目にしている。
独身女性の貧困も見逃されがちなのだが、大きな問題である。
「女はいいよ、結婚すればなんとかなる」
男性や、当の女性たちでさえそう思っているのだが、実際はどうにもならないのが現状。結婚したって相手に安定収入があるとは限らない。相手の会社が倒産することもあり得る。不仲になって離婚することもある。
誰かに頼って生きていこうとするのは、自分ひとりでがんばって生きていくよりリスクが高いのではないだろうか。
そしてもうひとつ。今のこの国では、一度「正社員」の道をはずれると、安定収入は得にくくなる。自分のせいでなくても、道をはずれざるを得ない人もいる。
そんな社会の荒波の中で、つつましく生きているカオリさん。一度は大手企業の正社員だったが、両親が交通事故を起こしてからは、「地べたを這いずり回っているような生活」だそうだ。
夏休みはどこにも行かない
――カオリさんは大学を出て、いい会社に就職したそうですね。カオリ:ええ。一部上場の大手企業です。社風が自分に合ったのか、仕事も楽しかったんです。
――そこを辞めたのはなぜですか?
カオリ:仕事を始めて6年目、28歳のときに両親が交通事故を起こしてふたりとも入院しまして。父が運転を過って、近所の建物に激突。他にけが人はいなかったんですが、父と助手席の母はしばらく意識不明。ふたりとも、半年ほどで退院できたものの、介助がないと生活できなくなってしまって。
当時、父がやっていた小さな会社も結局、倒産。もう、どうにもならない状況で、私が会社を辞めてふたりを家で看るしかなかったんです。
――収入的には大丈夫だったんですか?
カオリ:一軒家を売って、社員の方の最後の給料と退職金に充てました。生命保険から若干、保険金が下りましたが、それは両親の入院費に消えた。あとは貯金を取り崩して、細々と生活するしかありませんでした。
――大変でしたね。
カオリ:毎日、両親の介護をして1日が終わっていく。私は20代なのに遊びに行くこともなく、恋人もなく、絶望的な日々でした。
いや、恋人はいたんですけど、そんな状況だから、当然のように逃げていきましたね。立場が逆なら、私もそうしますよ。支えきれないもの。
――その後、どうなったんですか。
カオリ:2年後に父が亡くなり、今は公営住宅で母とふたり暮らしです。収入は母の国民年金と私のパート代だけ。母も介助が必要なんですが、相当わがままになっているのか、若干、認知症が入ってきているのか、他人をすごく嫌がるのでヘルパーさんにも頼めない。
――カオリさんは、どういう仕事をしているんですか?
カオリ:今は近所の弁当屋さんとファミレス、ふたつをかけもちです。午前中は弁当屋、午後はファミレス。それでも15万にもなりません。家賃と光熱費を払ったら、切りつめてなんとか食べていける程度。
夜は母にごはんを食べさせて、嫌がるのをお風呂にいれて寝かしつけて。いつまでこんな生活が続くんだろうと思うと、本当に体だけじゃなくて、気持ちが疲れてしまって。
――ケアマネージャーさんなどに相談はしました?
カオリ:しました。本当は母にどこか施設に入ってもらいたいけど、そのお金もないんですよ。特別養護老人ホームは3年待ちだそうで、一応、予約は入れてあります。
――カオリさんはどうやって息抜きしてるんですか。
カオリ:最近は、母が嫌がっても、ヘルパーさんに来てもらうことにしているんです。とりあえず看ててくれる人がいるだけで気持ちがラクになるから。それで、10年ぶりに友だちに会いました。お金がないからと言って、場所は安い居酒屋にしてもらって。情けないけど、友だちに会えただけでうれしかった。
>>すべて捨てて逃げ出したくなる