教育虐待は人権問題
子供の成績のことでつい叱り過ぎてしまったり、勉強を教えてもなかなか理解できない子供をつい叩いてしまったりという経験なら、実は多くの親にあるのではないかと思います。もしくは自分がそうされて育ったという大人も多いでしょう。それも教育虐待なのでしょうかか、違うのでしょうかか。どこまでの厳しさは許されて、どこからが教育虐待なのでしょうか。児童虐待から子供を守るシェルターを運営する弁護士は、「ここまではよくて、ここからはダメというような程度問題では語れません。しつけや教育的指導とは、子供の成長を促すために子供を励ますことです。英語で言えばエンパワーメントです。しかし虐待は人権侵害です。まるで逆です。子供は親のペットでもロボットでもブランド品でもありません。親の満足のため、もしくは親の不満のはけ口に子供を利用することは人権侵害です。子供を自分と同じ一人の人間なんだと思うことができているかどうか。それが教育的指導と虐待の違いだと思います。同じ言葉を発していてもそこが違えば、子供が受けとるメッセージも違います」と言います。
「親は無力」を認めることから始めよう
子供の人権には三つの柱があるとそ弁護士は言います。「生まれてきて良かったね」と言ってもらえる。「ひとりぼっちじゃないからね」と言ってもらえる。「あなたの人生はあなたしか歩めない」と認めてもらえる。「要するに、私たち大人がすべきことは、この三つだけなんです。逆に言えば、これ以上のことはできないんです。要するに私たちは無力なんです。結局子供と一緒にオロオロすることしかできないんです。でも、それを認めることから、子供たちへの支援ははじまります。何もできなくても、ずっとそばにいてあげて、とにかく生きていてほしいと伝えます。それが重要なのです」
子供が育つうえで、もちろん親の影響力は絶大です。しかし、あえて言いたい。結局のところ、親は実は無力であると。拙著『追いつめる親 「あなたのため」は呪いの言葉』を執筆するために教育虐待の実情を取材するにつれ、私はそう思うようになりました。
親になると、子供のためにあれもしてあげようこれもしてあげようという気持ちに駆られます。しかしあれこれしたことがそのまま親の期待通りの成果をもたらすとは限りません。むしろそうならないことのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。親の意図とはほとんど関係のないところで、子供は育っていくものなのです。
子供は親の思った通りは育たないが、それなりのものには必ず育つ。親がよほど余計なことをしなければ。私はそう思います。
関連書籍
追いつめる親
(おおたとしまさ著、毎日新聞出版、税別1000円)
「あなたのため」という言葉を武器に過干渉を続ける親に育てられ、「生きづらさ」を感じ、自分らしく生きられない子供側の様々なケースを紹介。教育虐待の闇を照らし、その社会的背景を考察し、さらには、「教育とは何か?」「親の役割とは何か?」というテーマにまで踏み込む。