加齢は必ずしも衰えを意味しないが…
キャプテンの長谷部誠(フランクフルト/ドイツ)は34歳に、本田圭佑(ACミラン/イタリア)と岡崎慎司(マインツ/ドイツ)は32歳になる。シンガポール戦に出場しなかった長友佑都(インテル・ミラノ/イタリア)も、ロシアW杯後の9月に32歳となる。
ケガの予防と治療のレベルが進歩し、並行して身体のケアに対する選手の意識も高まったことで、サッカー選手の寿命は確実に伸びている。30歳を越えてもトップレベルを維持する選手は、もはや例外ではない。年齢をそのまま衰えに結びつけるつもりはない。キャリアを重ねることで得られる経験も、評価されるべきだ。
シンガポール戦のスタメンがそのままロシアW杯のレギュラーとなっても、もちろんかまわない。大切なのは、2018年までの3年という時間で、競争が繰り広げられることだ。新たなタレントの登場が現有戦力を刺激し、それによってチーム力が底上げされていくサイクルを、作り出していかなければならない。
W杯予選と本大会では選手が入れ替わるべき?
W杯アジア予選の初戦を起点として、過去の代表チームを振り返ってみよう。2001年の南アフリカW杯を目指すチームは、08年2月のタイ戦からW杯予選をスタートさせた。チームの最年長は32歳のGK川口能活(年齢は当時、以下同)で、最年少は19歳の内田篤人である。スタメンの平均年齢は26・5歳だった。
タイを4対1で退けたこの試合のスタメンのうち、8人は南アフリカW杯のメンバーに選ばれた。中澤佑二、駒野友一、阿部勇樹、遠藤保仁、大久保嘉人の5人は、W杯でもレギュラーとしてプレーした。控え選手を見ると、ドイツW杯に出場した楢崎正剛、加地亮、巻誠一郎らの名前もある。
当時はまだメンバーに絡んでいなかったものの、南アフリカ行きを勝ち取った選手は誰だったか。本田、長友、岡崎、森本貴幸らである。当時26歳の矢野貴章のメンバー入りも注目を集めた。本大会でレギュラー格となったのは本田と長友だけだったが、岡崎、矢野も途中交代のカードとして使われている。
その一方で、南アフリカW杯期間中に32歳となった中村俊輔は、チームを後方から支援する立場にまわった。アジア予選突破の立役者となった背番号10のスタメン落ちは、チームの変化を象徴するトピックスだった。
昨夏のブラジルW杯へ連なる道のりは、11年9月の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)戦で幕を開けた。スタメンの最年長は31歳の遠藤で、最年少は22歳の香川真司だった。南アフリカW杯後に代表へ定着したセンターバックの吉田麻也も、当時は23歳である。スタメンの平均年齢は25・9歳だ。南アフリカへの第一歩に比べると、わずかに下がっている。
ベンチ入りの23人には、20歳の原口元気、21歳の清武弘嗣も名を連ねている。清武は後半途中から起用され、吉田の決勝ヘッドをアシストした。
北朝鮮をギリギリで振り切ったこの試合のスタメンから、8人がブラジルW杯に出場している。しかもレギュラーとして、である。メンバーから漏れたのは駒野、柏木陽介、李忠成の3人だった。北朝鮮戦に本田と長友が出場していれば、ブラジルW杯のレギュラー格が10人までを締めた計算だ。
南アフリカW杯のアジア予選に出場しなかった選手で、ブラジルW杯のメンバーに食い込んだ選手は少なくない。13年7月の東アジアカップで日本代表デビューを飾った森重真人、柿谷曜一朗、斎藤学、山口蛍、大迫勇也らが、アルベルト・ザッケローニ監督によってリストアップされた。
メンバーが3人変わればチームは変わる
Jリーグの外国人枠は「3」である。アジア人枠を入れるとプラス1で「4」になるが、この数字は示唆に富む。3人の選手が入れ替われば、チームは変わる可能性がある、ということだ。シンガポール戦の引き分けは驚きだった。1998年から5大会連続でW杯に出場し、国際サッカー連盟(FIFA)ランキング54位の日本が、同154位のシンガポールと、ホームで痛み分けを演じてしまったのだ。「国際試合は何が起こるか分からない」と言われるが、明らかな失態である。
とはいえ、予選はまだ1試合を終えたばかりだ。シリア、アフガニスタン、シンガポール、カンボジアとの5か国によるリーグ戦は、ホーム&アウェイの合計4試合で順位を争う。最悪でも2位に入れば、突破の可能性は残されるのだ。慌てる必要はない。
W杯アジア予選を戦っていく日本には、高い競争原理が求められる。シンガポール戦のメンバーを脅かす選手の登場が、それを促す選手起用が、これからの日本代表には求められる。格下相手のスコアレスドローは、ハリルホジッチ監督の選手選考と起用法に、選手のメンタリティに、変化をもたらすきっかけとなるかもしれない。