恋人同士に、「冷却期間」は効果があるのか
真正面から問題に向き合いたくないとき、男はよく「冷却期間をおきたい」と言い始める。これを別れ話ととる女はまずいないだろう。だが、男たちに言わせれば、これは「別れへの序章」なのである。まずは冷却期間をおいて、頭を冷やしているうちに、女性はあきらめてくれるのではないかと淡い期待をもっているようだ。こうなれば、女も意地になる。男には別れの意思がありそうだとわかっていながら、それを察しようとはしない。むしろ「単なる冷却期間。彼は戻ってくるに違いない」と思い込む。男が去っていく、つまり古い言い方をすれば自分が捨てられるなんて、女としてのプライドが許さないのだ。こういうタイプの女性は、面と向かって「どうしても別れたい。申し訳ない」と土下座でもされない限り、別れを認めたがらない。
好きでつきあっている者同士が、仕事などでやむを得ず離れる場合を除き、わざわざ冷却期間など置いて、つきあいが続くはずもない。
「少しひとりになって、このつきあいを考えたい」
「お互いに冷静になったほうがいいと思う」
男がこういう言葉を発するとき、それは「別れたい」ということなのだ。
だからといって、女に「察しろよ」というのは男の身勝手。自分が何もせずに、女がすっきりきれいに離れていってくれるとは思わないほうがいい。女はとうに察している。だが認めたくないのだ。だから、自分に都合のいいように解釈し、それがエスカレートしていくこともある。たとえ、男が他の女性に走ったとしてもだ。
「彼は私に戻ってくるために、私の良さを再認識するために、今は他の女に寄り道をしているだけだ」
かつて、そんなふうに言った女友だちがいる。友人同士で集まって、「それはもう、彼があなたとつきあいたくないということ」だと説得した。
フラれても捨てられても、それは自分のすべてが否定されたわけではない。合わなかっただけだ。縁がなかったということだ。だが、それがわかるのは、もっと年齢を経て「いい年」と言われるようになってからかもしれない。
20代から30代、しかも結婚を考えていたなら、自分の心を守るためにも、「捨てられた」ことを認めたくはないだろう。
恋愛は不思議なもので、他人の置かれた状況を見ると、それはもう無理だと冷静に判断できるのに、自分のときだけは客観的な判断ができない。だからこそ恋愛なのかもしれないが……。ひとりの人に入れ込み、虜になり、相手の言葉を脳内でポジティブに変換してしまう。
それでも、出会いがあれば別れもある。時間がかかっても、現実を見つめなければいけないときが必ずやってくる。そして、「もう絶対に恋なんてできない」と大騒ぎした数ヶ月後、多くの人はまた誰かを好きになっている。