演じることって悪いこと?
上から目線で横柄なのはマイナスになりますが、「明るく堂々と」振る舞えるだけの自信を持つことはアピールポイントにもなるものです
筆者は、基本的には「裏表の差が激しい」ことには抵抗があります。その差が大きければ大きいほど、「魂レベルで気が合う運命の恋人」を手に入れるのは困難だと思っています(お互いに演じており、それを許し受け入れ合うために運命の恋人に出会えることもあります)。
とはいえ、ありのまま、寝起きのボサボサ頭にスッピンで、思ったことを全部口にしていたら、社会で生きていくには支障がありますよね。そこで、「ありのまの自分」を底上げしつつ、少しだけ演出する……という手法をいつもお勧めしています。
本物と偽物。ありのままと演技。これって線引きが難しいし、「どちらか一方だけが良い」とは言い切れないもの。
三月末に終了したNHKの朝ドラ『マッサン』のなかにも、何度か登場するのが主人公の「本物のウィスキーを作りたい」という台詞。でも、周囲の人たちに「本物ってなんやねん?」と何度も突っ込まれます。終盤では、戦地から帰国した甥に「ウィスキーに本物も偽物もない。仲間を裏切って帰国した自分をゆるしてくれた三級ウィスキーこそが、自分にとっては本物だ」と告げられるシーンがあります。
外面の自分も、一人のときの自分も、きっと、どちらも「本物」。誰にでも、かわいい一面はあるものです。相乗モテ効果もあるので、意固地になって「ぶりっこなんて!」と毛嫌いせず自分を演出してみることを、あえてお勧めしてみたいと思います。