米国での失敗例が相次ぐ、日本人内野手の現状
ここ数年、日本人内野手の米国での失敗例が相次いだことも、少なからず影響したようだ。
「海外FA権を得て、FA宣言をさせていただきましたが、熟考に熟考を重ねた結果、残留することを決意しました」。
鳥谷にしてみれば、悔しさが滲み出た言葉だった。昨年11月11日、アマチュア時代から抱いていた思いを貫き、海外FA権を行使。大物代理人であるスコット・ボラス氏と契約を結び、メジャー移籍を模索した。ブルージェイズを始め、パドレス、メッツなどが獲得に興味を示したが、条件面で折り合わず、阪神残留の道を選んだ。
この裏にあるのは、ここ数年、日本人内野手の米国での失敗例が相次いでいることが挙げられる。
西岡剛内野手(30)はロッテ時代の2010年オフにポスティングシステム(入札制度)を使ってツインズと3年総額925万ドルの契約を交わした。しかし、1年目は故障もあって、わずか68試合の出場に止まり、打率.226、0本塁打、19打点の成績に終わった。2年目はマイナー暮らしが続き、3試合のみの出場で1本の安打も打てず、2012年オフ、自らの希望で契約解除を申し出て日本(阪神)に戻った。
2012年オフに西武から海外FA権を行使して、アスレチックスと2年総額650万ドルの契約を交わした中島裕之内野手(32)は、一度もメジャーに昇格できず、2年目は2Aまで降格した。球団は、3年目のオプションを保有していたが行使せず、FAとなって今オフにオリックス入りした。
田中賢介内野手(33)は2013年に海外FA権を行使して、ジャイアンツとマイナー契約を交わした。外野手としてメジャーで15試合に出場したが、内野手としては1試合のみで、オフにレンジャーズへ移籍。結局、今オフに古巣・日本ハムへ復帰した。
こうしたケースが続き、日本人内野手の米国内での評価が著しく低下してしまい、そのことが鳥谷獲得へ影響したことは否めない。
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