高橋大輔が人々に与えてくれたもの
私もいま、この上ない寂しさを感じている。
フィギュアスケートの高橋大輔選手が現役を引退した。
これから私たちは、高橋大輔がいない冬を迎えることになる。
銀盤を去ったフィギュアのエース
故郷岡山県で行われた記者会見。高橋選手はその中で、引退しても一度だけ現役復帰できる規定があることを口にするなど、競技生活に思いが残っていることを感じさせながらの引退となった。選手生命を奪われかねない大けがなど数々の苦難を克服し、日本のみならず世界のフィギュア界をリードしてきた高橋選手にとって、ようやく重荷を下ろす時が来たといえる。
世界には高橋ファンが大勢いる。
彼がなぜ国を問わず多くの人々を魅了してきたのかを改めて振り返ると、彼がスポーツとしてのみならず「芸術表現」としてのフィギュアを体現してきた唯一無二の存在であったことがわかる。
アーティスト中のアーティスト
世界には氷上アーティストと呼ばれる選手がいる。当然のことながらそれらの選手は表現力が豊かで素敵な演技をするが、時として、その素敵さと同時に「既視感」を感じることがある。
なぜなら、選手個人の世界観が演じられている場合が多いからだ。そのため、シーズンが変わり、楽曲が新しくなっても、以前と類似した世界観になりやすい。
もし、”曲が違うのに去年と同じような演技”に見えることがあるとすれば、理由はおそらくそれだろう。
フィギュア表現に立ちふさがる文化の壁
表現においては更なるハードルも存在する。それは文化の壁だ。選手は必ずどこかの国で生まれ育つ。だから感情や心情の表現も、体を使った動作表現も、自分が生まれた国の文化や風土の影響から逃れることができない。
そのため、選手個人の世界観は、たいてい、同じ国の人々には理解されるものの、異なる文化や風土を持つ国の人には理解されにくいという厳しい現実がある。
どんな一流スケーターであっても、異なる文化の人々に世界観を理解してもらうことの困難に直面するというわけだ。
だが、高橋大輔はその壁を越えた。
なぜなのか?