方法を変えていったら、もっと進化できる。
――今後について考えていることはありますか?はい、変えなきゃいけない時が来たんです。ここ数年悩んできたことなんですけど、僕は、心の底から望む演技をしたいし、その演技でファンたちとつながりたい。でも同時に、何年も(世界選手権や五輪で)18位とか19位とかってところにいたくはない。
そのために、一生懸命適応しようと変えてきたし変わってきた。けれど、ルールやシステムが変わることはなかったんです。この世界選手権で、変えるのは今だ、って思いました。
今のようにやっていったら難しいけど、方法を変えていったら、僕はもっと(順位的にも)進化できる。そんなにスピーディではないかもしれないけど、もっと上に行ける。もちろん、19位から一気に1位になれるとは思わない。世界チャンピオンにはなれないかもしれないけど、上にいかなきゃ。
これからも試合には出るよ。パッションはある。ただ、他の選手たちと同じように、もっとテクニックやレベルを意識して、音楽スタイルもシンプルにしていきます。そこからスタートします。
五輪に出場するために、犠牲を払ってきた。
――長く考えてきたことなんですね。いろいろなことも考えた上での、この決断なんです。
これまでは、五輪のためにたくさんのことを犠牲にしてきました。やりたいことも抑えて、リンクと家との往復の毎日。五輪に出たかったら、五輪で結果を出したかったら、すべてほかのことは頭から追い出して、練習を続けてきました。
コーチでもある僕の父は、もっと大変だったと思います。大きな国のトップ選手たちの場合は、1人の選手にコーチ、トレーナー、振付師って何人もの人がつくけれど、僕たちは小さなチームだから、そういう何人分もの仕事を父1人でしなくちゃならない。練習を見て、プランを練って、ストレッチやオフアイストレーニング、ダンス、ステップも見て、家では料理をして、僕の睡眠時間も確認してって、すべて父がやってくれるから、父はほんの数時間しか眠れないんです。それにこの1年、母に会えていません。母はアメリカにいて、僕は五輪のために北京にいたから、会えなかったんです。
今急に思いついたことじゃなくて、ここ数年考えていたことなんです。
五輪は、すごかった。
――私たちは、いつものミーシャ・ジーの演技を楽しみにしてはいるけれど、アスリートとして上を目指していくのは、とても自然で当然のことだとも思います。この決断で、たくさんの人たちを悲しませてしまうかもしれないけど、僕もここ数年こんな思いを抱いてやってきました。
スケートは、僕の身体が可能な限りは続けるつもり。もちろん、4回転とかトリプルアクセルとか難しいことにも力を注いでいきます。ポイントをどうやったらとれるのか、ということを考えてやっていくときが来たんです。
――それほど思い入れのあったソチ五輪は、いかがでしたか?
ショックを受けるくらいすごかったです(笑)。大きな町がすべて五輪仕様、アスリート仕様になっていて、世界中のカメラと放送局が集まって、僕にとって人生最高の場所でした。あのアリーナで、あんな雰囲気の中で、信じられないくらいの気持ち。
世界中の人たちが見ていて、メールのメッセージが途切れなく入ってきて、携帯電話が2時間で電池切れになっちゃう(笑)。ブラジルとかチリとかの人たちも、僕のファンになったってメールを送ってきてくれたんです。
日本の皆さんには、お辞儀してお礼を伝えたい。
――日本でも、あなたは有名になったんですよ。女子ショートプログラムのあとに、ツイッターで浅田真央選手を応援するコメントを出したから。知ってます。それについていくつかインタビュー受けたから。
――世界中にファンがいるんですね。
そうです。でも、新しいシーズンから変えていくことで、そういうファンが減ってしまうかもしれないって思っています。ふうっ、ヘビーなインタビューだったね(笑)。
――今までで一番ヘビーでしたね。
一番? ふふ、一番ヘビーな記録を持ち続けていたいね。一番、好きだから(笑)。
それから、これは絶対に伝えてほしいんですけど、日本の皆さんにお辞儀をしてお礼を言いたいです。日本の試合では、いつもホームで滑っているような気持ちにさせてもらっていますし、いつも前回よりもっと大きい歓声や拍手をもらえるんです。(3月のさいたまでの)世界選手権ではいい演技ができなかったけど、そのサポートにお辞儀をしたいです。
このインタビューの後、すぐに練習を再開し、まもなく始まる新しいシーズンに備えてきたミーシャ・ジー。今シーズンの彼の、変わったところ、そして変わらず残るところを、どちらも楽しみに、最初の試合を待ちたいと思います。