子どもに「社畜教育」をしてはいけない!
だから子どもたちには「パパがもらっているお金はパパだけの力で稼いでいるんじゃないんだよ。ママが家のことやってくれて、キミたちが応援してくれるからパパは仕事ができているんだよ」と伝えています。要するにチームプレーなのです。私は試合に出る選手です。でも選手だけではどうにもなりません。心身両面でサポートをしてくれるマネージャーのようなママがいるからベストコンディションを保てます。へこたれそうになったとき応援してくれるサポーターのような子どもたちがいるからがんばれます。だから、私の感覚からいうと、給料袋に入っている札束は、父親一人の力で稼いだものではないということになります。家族みんなの力で得たものです。それなのに、自分一人の手柄だと思って給料袋を差し出す父親って、ちょっと大人げないですよね。
そもそも家族が畏怖の念を感じているのは、父親ではなく、給料袋ではないかということです。ということは、父親に給料をくれる会社はもっと偉いということになります。だとすれば、子どもの心の中にはいつしか「家族よりも会社が偉い」という価値観も芽生えるでしょう。それじゃまるで「社畜教育」です。
「自分自身に正しいことを課す厳しさ」こそ威厳の源
「自分自身に正しいことを課す厳しさ」こそ威厳の源
では、人は、どんなときに「この人すごい、かっこいい」と思うのでしょうか。お金とか他人からの評価とかいう目先の誘惑に振り回されるのではなく、高潔な人生を送ること、誇り高さ、気高さ、そういうものに触れたときではないでしょうか。本当の威厳とは、「人間として正しいことができる強さ」や「自分自身に正しいことを課す厳しさ」がにじみ出ていることをいうのではないかと思います。威張ってわがままを通す見せかけの強さよりも、自分が過ちを犯したときにはそれを素直に認め、相手が子どもであっても素直に謝ることができる強さ、自分よりも弱いものに思いやりをもてる強さこそ、本当の威厳の源ではないでしょうか。
仕事も育児もがんばる父親は、わざわざ威張らなくても、尊敬されます。妻が専業主婦であろうが、共働きであろうが、関係ありません。昭和の頑固オヤジのような見た目の派手さはないかもしれませんが、それでも威厳は十分に感じてもらえていると思います。そういう父親に憧れるような子どもなら、大人になって、本当の威厳をもつ人に育ってくれるでしょう。そのためにも、本当の威厳を備えた父親になりたいものです。