捕鯨問題は食文化ではなく外交問題
トムカ裁判所長によれば、日本が捕獲数の削減や捕獲しても殺さない調査方法などを検討した形跡がないことなどが決定をもたらしたようだが、捕鯨問題には疑問が多い。
あいまいな反対理由
まず反対理由がハッキリしない。以前アメリカに別件で取材に行った際、ある州の職員と捕鯨を巡って激論になった。クジラを食べるなんて許せないという相手に、なぜダメなのかと理由を尋ねると、返答は「ほ乳類だから」。
アメリカ人は同じほ乳類の牛を食べている点を指摘すると、「牛はたくさんいるから」。
ではクジラがたくさんいたなら食べてもいいかと問うと、それでもクジラはダメという。そのわけは「牛は飼育できるがクジラはできないから」。
ならばクジラを飼育する技術が確立し、増やせるとしたら食べてもいいかと聞くと、飼育でもダメという。その理由は「知能が高いから」。
反対理由がハッキリしないのである。
しかし知能が問題というなら、中国で現在も犬や猿を食べる習慣について問題にならないのもおかしい。
食文化の問題ではなく、実は「外交問題」
考えられるのは、捕鯨問題は食文化の問題ではなく「外交問題」ではないかとういうことだ。世界には「商業捕鯨」をしているアイスランドやノルウェーなどの国があるが、それらの国より「調査捕鯨」の日本のほうが強い批判を浴びている点が一つ。もう一つがヒステリックな反応だ。たとえば歴史認識問題で国旗を焼き払ったり、輸入問題で日本車を破壊したりするなど、外交問題ではヒステリックな反応が起こされる。日本の調査捕鯨船に対し、シーシェバードが度を越した暴力行為を行うのもそれと重なる。
外交では「譲歩=負け」
捕鯨問題が外交問題であるとするなら、どうすればよいのか。元外交官の佐藤優氏は著書の中で交渉一般について次のように語っている。「交渉を行うことで、こちら側の利益が損なわれることが明白である場合は、交渉を行ってはならない」(『交渉術』文春文庫)
外交では譲歩したほうが負けである以上、そうした局面に至らないよう、「交渉しないための交渉(佐藤優)」が必要。つまり日本がすべきだったのは、相手国の批判をかわすための譲歩ではなく、問題が遡上に上がらぬための努力だったのだ。
ところが日本人は、相手(相手国)との関係悪化を恐れるあまり、しなくてもよいはずの譲歩をすることがある。外交においてそれは致命的だ。
TPPという新たな火種
今まさに交渉が行われているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)にも同じことが言える。日本の主要農産物が大打撃を受けることが明白な協定には参加しなければいいだけの話。しかし日本政府は頼まれてもいないのに自ら進んで参加し、不当な内容の変更を求めている。これは捕鯨問題に次ぐ新たな火種となりかねない。