増えている豪雨災害への対応
近年、とくに増えている災害といえば豪雨災害ではないでしょうか。昔は豪雨=台風という感覚がありましたが、今はゲリラ豪雨の言葉が一般的になったように、局地的に大量の雨が降ることが増えてきました。豪雨災害が起きると、河川の氾濫による床下・床上浸水。土砂災害による道路寸断などで、特定の地域が水上や陸の孤島となってしまうケースが多々あります。そんなときに保健師はどのような活動をしてきたのか、実際の豪雨災害を例を元に少しご紹介しましょう。
奄美豪雨災害
2010年10月、鹿児島県の奄美大島で豪雨災害が起きています。島の近くに停滞していた秋雨前線が、南の海上を通過した台風13号の暖かく湿った空気に刺激されたのが原因といわれ、被害は島全体に及び、各市町村で床上や床下浸水、土砂崩れが発生。3名の死者が出た災害でした。実はこの豪雨災害。島の人たちは当初、いつもの強い雨くらいの認識しかなかったといいます。しかし、日を追うごとに雨足は強くなり、3日目には土砂災害警戒情報が発令。奄美市住用地区では災害担当の職員が役所支所内に詰める体制をとっていました。そんななか、住用地区で河川の氾濫が発生。じわじわと水位があがるというよりも、あっという間に水かさが増した状態で、住用の役所支所には、大量の水が流れ込んできました。その時の最高水位はおよそ2.4m。長年ここに住んでいる人たちでさえ、初めて経験する災害だったといいます。
水が一気に流れ込んだ奄美市住用支所(2012年8月撮影)
山を乗り越え現地入り
奄美市の住用地区には前述のように役所の支所があり、そこに配属されていた保健師はふたり。そのうちひとりは産休中だったため、実質Sさんという中堅の保健師ひとりの体制でした。しかも、Sさんは公務で前日まで島を離れていたため、河川の氾濫があったときは奄美空港から住用に戻ろうとしている途中でした。そして、強い雨が降っているくらいの認識のまま、住用支所に連絡を入れると、河川の氾濫と道路寸断が起きたとの連絡と「もうこっちに来ないで引き返せ」の言葉を最後に、一切の通信が途絶えてしまいました。
住用の住民、家族、支所の仲間たちを心配しながらも、すでに道路が寸断され戻ることができなくなったたSさんは、自分は何をすべきか考えた末、奄美市中心部にある名瀬保健所に連絡を取っています。すると、保健所でも、奄美市の本庁でもまだ住用地区の災害をしっかり把握できていなかった状態だったようで、ここから一気に災害対応の動きが始まりました。
名瀬保健所ではすぐに奄美市役所の本庁に連絡を入れると共に、市の保健師2名、保健所保健師1名、そして市の事務職1名の4名体制で、必要最低限の物資をもって住用に出発。途中、土砂崩れで道が寸断しているところは徒歩で乗り越え、前述の避難所、体験交流館に入りました。
まず行ったのは、避難者のバイタルチェックです。後にやってくるはずの医師に繋ぐために必要なことでした。また、現地の情報を的確に伝えるため、避難所全体の写真を撮ることと、見取り図を正確に描いていたようです。
地域を知る保健師の強み
それでも住用地区での保健活動は当初、なかなかうまく進まなかったといいます。なぜなら、この地区のことをよく知る人が少なかったからです。後にSさんらが合流したことで、一気に避難者との意思疎通もうまくいったといいますから、いかに地域をよく知る人材が災害時に必要だったかも分かります。ハブの毒を吸い出すための道具
活動のわずか一部ですが、保健師というのはこんな仕事もすると分かっていただければ幸いです。