経験重視で臨んだU-22選手権
U-22選手権にあえて21歳以下のメンバーで臨んだ日本代表。その狙いとは。
リオ五輪の出場権獲得から逆算したプランとして、日本は今大会を経験値アップの機会と位置づけた。大会のレギュレーションどおりに22歳以下のチームを編成する国が多いなかで、あえて21歳以下のチームを送り込んだのである。
1月12日のグループリーグ第1戦で、日本はイランと激突する。0対1、1対1、2対1と前半のうちにスコアが動き、後半開始直後の連続失点で2対3と逆転されてしまう。しかし、66分に同点ゴールをあげ、3対3の引き分けに持ち込んだ。
続くクウェートとの第2戦を0対0で引き分けた日本は、オーストラリアとの第3戦に臨む。決勝トーナメント進出を自力でつかむには、勝利をあげなければならない。
序盤から攻勢を仕掛けた日本は、大量4ゴールをあげてオーストラリアを粉砕した。1勝2分でグループ2位となった日本は、準々決勝でイラクと対戦する。
2013年初夏に行なわれたU-20ワールドカップで、イラクはアジア勢最高のベスト4入りを果たしている。フル代表に招集された経験を持つ選手も多い。この年代ではアジア有数の強豪だ。
ゲームは序盤から守備の時間が長くなる。相手の攻撃力を抑えるためのプランで、日本からすれば攻めさせている展開だ。自陣での攻防が多いものの慌てるところはなく、後半に入ると日本の攻撃に迫力が増していく。
ところが、どちらが勝っても1対0で終わることが濃厚となった終盤に、日本は痛恨の失点を喫してしまう。残り時間わずかで背負ったビハインドはあまりに重く、そのまま終了のホイッスルを聞くこととなった。
ベスト8敗退の裏に潜むもの
アジアの戦いでベスト8に終わったという現実は、サッカーファンに物足りなさを募らせるかもしれない。ただ、結果の背後に潜む現実を見定めておく必要はある。1月12日の大会初戦へ向けて、チームが集合したのは1週間前の1月5日である。その日の夜にオマーンへ出発し、6日に現地入りした。同日からすぐにトレーニングを開始したものの、中東の気候に身体を馴染ませながら、時差を取り除く必要がある。いきなりトレーニングの強度をあげることはできない。手倉森誠監督が戦術を浸透させるには、時間に限りがあった。
そもそもこの時期は、Jリーグがシーズンオフである。個々にトレーニングを積んできたものの、コンディションは選手によってバラつきがある。実戦から遠ざかっているため、試合感覚も研ぎすまされていない。様々な条件を考慮すると、苦戦は予想されたものだったのだ。
大会を終えた手倉森監督は、「イラクに負けたこと、悔しさという財産を大切にしていきたい」と話した。2008年から昨年までベガルタ仙台で采配をふるい、2012年にJ1で優勝争いを演じた実績を評価され、46歳の指揮官はリオ五輪を目ざすチームを託されている。
集合と解散を繰り返しながら強化をはかる代表チームは、クラブチームのようなまとまりを持ちにくい。その意味で、手倉森監督は適任だ。情熱と理論を持ち合わせた彼は、チームの一体感を築き上げる手腕に長ける。選手を奮い立たせる言葉を持ち、強固な信頼関係をピッチ上の結果に結びつけることができるのだ。
五輪の舞台に立った歴代のチームには、年代別代表でプレーしながら日本代表に選出される選手を含んでいた。08年北京五輪代表の香川真司(マンチェスター・ユナイテッド/イングランド)や内田篤人(シャルケ/ドイツ)であり、12年ロンドン五輪代表の清武弘嗣(ニュルンベルク/ドイツ)や権田修一(FC東京)だ。
ブラジル・ワールドカップが6月に開催される2014年は、アルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表がサッカー界の話題を独占するだろう。しかし、ワールドカップを経て日本代表がさらに成長していくには、新戦力の底上げが欠かせない。リオ五輪を目ざす世代の台頭が、日本サッカーをたくましくしていくのだ。いまはまだ全国的に無名の彼らが知名度を高めることは、五輪予選突破の可能性がひろがることをも意味する。