あえて結婚記念日を選んた妻、好江さん
一周忌法要が終わり、遺骨を受け取る好江さん
西徳寺には、勘三郎さんの父にあたる一七代目勘三郎さんのお墓があり、同じ墓所に納骨されることになります。新しく建墓するわけではないので、四十九日法要後もしくはお彼岸などを機に納骨することもできたのですが、一周忌まで手元に遺骨を置いていたのは、気持ちの整理に時間が必要だったからでしょう。
法律上では、遺骨はいつまでに納骨しなければいけないという規定はされていません。5年でも10年でも手元に置いておくこともできますが、実際には一周忌や三回忌など、またはお盆やお彼岸など区切りのいい時期をみはからって納骨するケースが多いようです。
一周忌法要の後、墓所へ移動して納骨
先代が眠る波野家の墓。納骨スタンバイ中
11時に開式した一周忌法要には、関係者150人あまりが集う盛大な法要となりました。本尊(阿弥陀如来)の下にはスーツ姿で微笑む勘三郎さんの遺影。そして遺影の斜め右上あたりに「演暢院釋明鏡大居士」と書かれた塗位牌が置かれています。
この塗位牌は、台座部分に中村屋の家紋「角切銀杏」にちなんだイチョウの蒔絵がほどこされているモダンなデザイン。シンプルながら本漆の輝きを放っています(浄土真宗では一般的に位牌は用いず、過去帳もしくは法名軸を用いますが、寺院によって慣習によって違います)。
オリジナル骨壺にもイチョウのレリーフ
遺骨は火葬の際に納骨した骨壺ではなく、新たにオリジナルで作った「縄文土器」と名付けられた骨壺に入れ替えています。これは多摩美術大学名誉教授である陶芸家・中村錦平氏のアドバイスのもと、好江夫人が自ら制作したものだそう。土のぬくもりを感じさせる曲線的なデザインに、イチョウの葉のレリーフがアクセントになっています。これは中村屋の家紋を意味するばかりでなく、墓地で見つけたイチョウの葉を模したそう。墓前では、まず念仏とともに骨壺が安置され、次に家族と寺院のみが区画内に入り、重誓偈のお経で5分ほどの簡単な墓前法要が営まれました。その後、参列者の焼香が途切れることなく30分ほど続きます。
結局、カロート(納骨室)の蓋が閉じられたのは一周忌法要がスタートして1時間20分後のこと。没後一年を経過した今もなお、多くの人に愛され続けている勘三郎さんの人柄が忍ばれる一周忌法要・納骨式でした。