燃料電池の始まりは約200年前
近年、燃料電池車は技術進化やコスト削減が進み、トヨタのFCHVやホンダのFCXクラリティが相次いで発表されるなど、燃料電池車は大きな注目を集めてきました。そのような次世代自動車という印象強い燃料電池車ですが、その原理が発見されたのは、今から200年余りも昔のことなのです。しかし発見された後は長らく研究が途絶えていましたが、1960年代にアメリカの宇宙船に燃料電池が搭載されて話題となって以来、世界各国で開発が進められるようになりました。日本でも、低いエネルギー自給率や化石燃料の枯渇など、さまざまな将来への不安が高まりを見せてきた1980年代から、国が本格的な開発支援に取り組んでいます。そして現在は、燃料電池を搭載した車がまさに普及を迎えようとしており、注目を浴びています。
今回は、そんな燃料電池・燃料電池車の歴史について、お話しできればと思います。燃料電池の始まりは、今から200年余りさかのぼり1801年のことです。英国のデービー郷が、石炭、木炭などの固体燃料から電気エネルギーが取り出せることを原理的に予測し研究を重ね、燃料電池の原理を初めて発見しました。
続いて1839年、英国の物理学者グローブ卿が、常温での水素と酸素の電気化学反応から、電気エネルギーを取り出すことに成功しました。これら2つの出来事が、燃料電池の発明の始まりをもたらしました。
しかし、発生する電流が小さかったためか、燃料電池の実用化には至らず、それからほぼ1世紀にわたり、燃料電池技術の進展はありませんでした。
研究から実用へ
一方で来たる1952年、英国のベーコンが現在の燃料電池の原型を開発し、その後は米国がベーコンの持つ燃料電池の特許を取得することで、技術の引継ぎが行われていきました。そして燃料電池開発にとって大きな変化ともなった1961年、米国のNASAで長時間の発電が可能な燃料電池の研究が進められ、それを受け世界各国で燃料電池の開発が進められるようになりました。以来、アメリカでは、燃料電池を搭載したアポロ11号が人類最初の月面着陸に成功し、現在でもスペースシャトルにアルカリ系の燃料電池を搭載するなど、広く燃料電池が使われるようになりました。
カナダでは、バラード社がフッ素系イオン交換樹脂膜を用いた固定高分子形燃料電池を開発しました。そしてドイツのダイムラー・ベンツ社は、バラード社の燃料電池を搭載した燃料電池車「NECAR1」を発表しました。これが世界で初めての燃料電池車です。
その後、NECAR2、3と次々に開発をつづけた同社は1997年、2004年に燃料電池車を量産化すると発表し、それに追随して、他の自動車メーカーも燃料電池自動車の開発に着手しました。莫大な開発費用は自動車メーカーの合併連合の主な要因にもなり、現在に渡る熾烈な開発競争をもたらしました。
(図)ドイツ、ダイムラー・ベンツ社 燃料電池車「NECAR1」
日本における燃料電池車
また日本では、1998年に石油代替・省エネルギー技術の開発を目指して始まった通産省の「ムーンライト計画」に燃料電池の開発が組み込まれ、燃料電池の研究開発が活発になりました。このように、燃料電池は宇宙開発の進行とともに、技術力の進展が進められて来たのではないかと私は考えています。その後、1996年にトヨタ自動車が、1998年にホンダが燃料電池車の研究に注力し、2002年にはトヨタとホンダが世界で初めて商用燃料電池自動車の販売を開始しました。トヨタのFCHVとホンダのFCXが世界で注目を集め始めました。
また2003年には経済産業省と新エネルギー財団が全国で定置式燃料電池の実証実験をスタートし、その後2005年には首相公邸に世界初となる家庭用燃料電池システム2基が設置され、元小泉首相もホンダの燃料電池車であるFCXに試乗を始めるなど、燃料電池車は多くの注目を集めてきました。
(図)元小泉首相 ホンダの燃料電池車FCX試乗
又独自のソフトウエア制御でFCに最適な走行モードを選択するシステムを搭載する他、各部位のガス圧や温度を集中管理するビークルコントロールユニット(CPU)を搭載したデジタルパネルを設置していました。安全対策には微小水ポンプを採用、水循環システムによってスタック内温度を一定に保つ他、ガスライン各部に設置した圧力センサーで自動制御を行うなど、異常発生時は安全機能が作動するハイテク機能は大変注目を集めました。