日越交易が盛んだった! 貿易陶磁博物館
貿易陶磁博物館入口正面
ホイアンの目抜き通り、チャンフー(Tran Phu)通りの一角にあるのが貿易陶磁博物館です。一見すると2階建の民家ですが、実は民家をそのまま博物館にしたのです。当時の中部はチャンパ王国が栄えていましたが16世紀に入るとチャンパ王国は中南部へ勢力を移動し、中部はフエ王朝の時代を迎えます。ホイアンが港町として栄えはじめたのも丁度その頃。ホイアンはフエ王朝にとって最大の交易場所となり、日本、中国をはじめヨーロッパ諸国とも貿易が盛んに行われました。
ポストカードはここがおすすめ
入口入った左手にはポストカードやホイアンの町並みを収めた写真集が売られています。ガイドのおすすめはポストカード。ホイアンの美しいレトロな町並みや田舎の描写は見ているだけでほのぼのとします。中部は1年に1度洪水に見舞われることでも有名ですが、そのときの様子を写したポストカードもおすすめです。
内装は当時のまま
チャンフー通りに建つ民家は歴史保存地区に指定されているため、家の内装はほぼ当時の状態です。ホイアンにある民家は写真のように屋根のない中庭があるのが基本建築。装飾は中国風ですが、建築様式自体はほぼ日本のそれと同じです。当時日本とホイアンの間には交易関係以上の深い友好関係があったことが分かります。
日本の銅なども出土されている
博物館に展示されているのは主に「ホイアン近郊で発掘された出土品」、「ホイアン近海から引き揚げられた沈没船の遺品」、「当時の様子が描かれた絵巻物」です。当時フエ王朝の最大の交易相手国は日本と中国でした。日本人だけでも1000人以上がホイアンに住んでいたとされ、現在はホイアンの象徴とされる日本橋が作られたのも同じ頃となります。
日本人も多数ホイアンに来ていた証拠
17世紀前半、日本の中心は徳川家康が覇権を握る江戸幕府でした。家康は諸外国との貿易に重きを置き、朱印船をベトナムにも派遣していました。写真は朱印船でやってきた茶屋新六郎が国王に貢物を献上している様子が描かれています。
有田焼
日本からの交易品では有田焼の皿をはじめ、陶磁器が大量に持ち込まれました。これはのちのベトナムの伝統文化である陶磁器にも影響を与えたとされています。ベトナムの陶磁器は日本のようにシンプルなデザインが特徴でした。現在は中国のユニークでカラフルなデザインの陶磁器が流行のようです。
ホイアンが港町として栄えたのは17世紀まで。日本では鎖国が始まり、オランダ商館も閉館したのをきっかけにホイアンは徐々に衰退していきました。中国の質の高い陶磁器にベトナムの技術が追いつくこともできなく、結果最大の交易相手国である中国とも疎遠になってしまったのです。
貿易陶磁博物館は日本橋を背にチャンフー通りを進んでいくと間もなく見えてきます。1階と2階隈なく見学しても30分かかりませんので、日本との外交関係を垣間見る点でもおすすめのスポットです。
<DATA>
■貿易陶磁博物館
住所:80 Tran Phu Street, Hoi An
営業時間:7:00~18:00
定休日:なし(テト期間は要確認)
入場料:チケット(場合によって無料入場できることもあります)
※上記データは記事公開時点のものです。