「人を幸せにすれば、自分も幸せになれる」の本当の意味
「人を幸せにすれば、自分も幸せになれる」の本当の意味って?
「人を幸せにすれば、自分も幸せになれる」とは、よく言われるものですが、その解釈を間違えると、「自分が幸せになるために、人を幸せにしようと躍起になる人」も出てきてしまいます。
でも本来は、「無私の気持ちで、純粋に人を幸せにした結果、それが自分に返ってくることもある(もっと言えば、人を幸せにすること自体が自分の幸せ)」という意味です。
とはいえ、例えばボランティア活動の場合、たとえそれが偽善な思いからであっても、やらないよりはやった方がいいと思います。
ただ、やり方を間違えると、人も自分も幸せになれなくて、むしろ悪循環な結果を生んでしまうこともあるのです。
人を幸せにするには?
そもそも自分が幸せになるために、人を幸せにしようとすること自体は、悪いことではありません。たとえ偽善であっても、結果的に人を幸せにできるのであれば、それは素晴らしいことです。
ただ、気を付けなくてはいけないのは、そのときに自分が見ているのは、「幸せにする対象者」ではなく、「人を幸せにする(はず)の自分」であることも多いということです。
本当に相手を幸せにしたかったら、相手のことをよく観察することが大切です。
そのときは、「私はあなたのために頑張っている!」という思いよりも、もっとクールに相手の需要を見る洞察力が必要なんですよね。
結局、「私はこんなに頑張っている!」「あなたの幸せを願っている!」と言ったところで、その行動が相手の幸せになっていなければ元も子もありません。
言い方は悪いですが、それは単なる自己満足です。それだと相手を喜ばせるどころか、単に偽善な行為のまま終わってしまうのです。
つまり、自己満足からくる行為は、相手に受け入れられないこともよくあることなんです。
そんなときに、相手に認められるためにやった行為で、ますます自己重要感は満たされなくなり、自己否定するようになってしまいます。
せっかく人を幸せにしよう、そして自分も幸せになろうと思ってやった行いで、ますます人と自分を不幸せにしてしまうのです。
それでは悪循環ですよね?