片頭痛と天才

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卑弥呼が片頭痛なら、雨乞いで雨が降ったことも説明できるかもしれません

日本人の840万人が悩む、と言われる片頭痛。片頭痛の人は、なぜ頭が痛くなるのでしょうか? 片頭痛の人は、まぶしい光やうるさい音、強いにおい、天候の変化などに敏感で、他の人が気づかない、わずかな兆候も見逃しません。片頭痛を持つ人の脳は、片頭痛がない人の脳より興奮性が高く、その働きが良すぎるのです。そのため小さな変化にも脳が反応し、それを神経の痛み信号に変換して頭痛を起こす、と考えられています。

脳の高い興奮性はつらい頭痛を起こす一方で、天才肌の優れた才能を開花する可能性があるとも言われています。古今東西を問わず、何か一つのことに突出した才能を持つ天才、例えば作家や音楽家、画家、ノーベル賞受賞者などに片頭痛を持つ人が多いことが知られています。頭痛があった有名人には、夏目漱石、樋口一葉、芥川龍之介、後白河上皇、バーナード・ショー、モーツァルト、ベートーベン、ゴッホ、ピカソ、ギリシア神話のゼウスなどが名を連ねています。

そこで今回は、日本史上最も有名で活躍した男女、女王卑弥呼(ひみこ)と、戦国武将の織田信長の肩こりと頭痛の秘密に迫ってみたいと思います。

卑弥呼と雨乞い……片頭痛が低気圧の到来を知らせた?

卑弥呼は、中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に登場する邪馬台国(やまたいこく)の女王です。2013年2月20日、卑弥呼のお墓とする説のある奈良県箸墓古墳(はしはかこふん)に、調査団が立ち入り検査したニュースが流れましたね。邪馬台国の存在場所には九州説と近畿説があり、いまだ確定していないのですが、卑弥呼が日本史上最も有名な女性であることは確かなようです。

『後漢書』によると、邪馬台国時代の日本では祭事を取り仕切るリーダーとしての女王と、政治と軍事権を持つ弟(または兄)との、祭政二重主義が行われていたようです。女王卑弥呼の仕事は、戦勝祈願、農作物の豊作、国民の平和をもたらす祭事などだったと考えられています。なかでも古代日本において、女王が行う雨乞いの祈りは国民を守る最も重要な儀式だったと想像します。なぜなら、日照りが続くと、農作物は枯れて飢えや病気が流行し、国が荒れてしまうからです。

では、天気予報がない時代、卑弥呼は豊作のカギを握る雨の予測を、どのように行っていたのでしょうか? これは私の独断と偏見ですが、卑弥呼は片頭痛だったのではないか? 片頭痛だったからこそ、天気を予測できる偉大な女王になれたのではないか?と思っています。

卑弥呼がもし片頭痛持ちであったなら、気圧の変動を誰よりも早く察知し、低気圧の到来を予見することができたはずです。片頭痛には低気圧に反応するタイプがあります。特に、これから低気圧が近づいて天候が悪化するタイミングに反応するタイプが多いようです。私の患者さんにも、「天気予報より雨が当たる」と言われる片頭痛持ちの方は非常に多いのです。もし卑弥呼が、片頭痛発作を雨乞いする雨の予兆として使うことができれば、かなりの確率で雨を予測することができたのではないでしょうか? 卑弥呼が干ばつに悩む民を前に、「もうすぐ雨が降る!」と宣誓して、その通りに雨が降ったなら……。もう民は信じるしかないでしょう! 「卑弥呼さまは、本物の女王だと。」

『三国志』紹煕(1190~94)本によると、「卑弥呼以死。更立男王国中不服、更相誅殺、当時殺千餘人。服立卑弥呼宗女壹(台)与、年十三為王、国中遂定。政等以檄告喩壹(台)与」とあります。卑弥呼の死後、男王を立てようとしたようですが、国中に反対され、卑弥呼の姪である台与(たいよ)が新女王として即位したようです。

この史実も、もしかしたら片頭痛が関わっているかもしれません。なぜなら、日本国民の片頭痛発症率は女性が14%、男性が5%、遺伝性がある場合が多いからです。女性の方が男性より片頭痛を発症する可能性が高いので、来雨を的確に予見した女王崩御から、片頭痛体質ではない男王に変わったとたん、雨乞い成功率がガタ落ちして信頼が落ちしたのではないでしょうか? よって、国が従わず、片頭痛体質を受け継いだ卑弥呼の姪(女系遺伝)、台与が新女王として即位し、国が治まったのでは?などと、古代歴史ロマンに夢はせる史実です。

悪天候を予知する天才だった織田信長と片頭痛

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『敦盛』は、信長にとってのフラダンスだったのかもしれません

『敦盛』(あつもり)は、能の原型といわれる舞曲目の一つです。

「人間五十年 化天の内をくらぶれば、夢幻の如く成り」の一説は、大河ドラマでもよく放映されますよね。敦盛は、信長が桶狭間(おけはざま)出陣の際にも舞った、と言われています。

なぜ信長は敦盛を好んで演じたのでしょうか? 平家武将に武士の哀れを感じたから? リズムと音感が気に入ったから? 舞いやすい曲目だったから? これも想像の域ですが、私は、信長は片頭痛に伴う肩こりに悩んでいたから『敦盛』を好んで舞ったのではないか、と推測しています。

片頭痛が勝たせた? 桶狭間の戦い

桶狭間の戦いは、信長が二千の家臣とともに、二万といわれた今川義元の軍勢に奇襲をかけ、勝利した戦です。まさに信長軍が襲いかかるタイミングで突然雷雨が起こり、予期せぬ嵐と今川軍の混乱に乗じて、信長に軍配があがりました。「神が味方した」とも言われる桶狭間の戦いですが、信長は、まぐれでその日、その朝を選んで奇襲をかけたのでしょうか?

1560年5月12日、今川義元は大軍を率いて、駿府を出陣します。18日夜、信長は義元の出陣を聞いたものの、家臣たちを前に全く戦の話をせず、さっさと寝てしまった、と「信長公記」は伝えています。そして翌朝早く突然起き上がり、敦盛を舞って出撃した、とあるのです。

もしかしたら、さっさと寝てしまった18日。信長は片頭痛に悩まされていたのではないでしょうか? 片頭痛で、議論どころではなかったのではないでしょうか。しかし、信長としては、「いつもの強い雨が降る前の頭痛があった。ならば、翌日は大雨に違いない。」と、確信ができる程の強烈な頭痛だったに違いありません。

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信長が片頭痛なら、嵐に乗じて奇襲をかけることも、簡単だったことでしょう

桶狭間の戦いが起こった5月19日は、「信長が敵の前衛部隊を山際に追い込んだ時、突然天候が急変した。石や氷を投げ打つような雨が、強い西風にあおられながら落下してきた。」と、記述が残っています。巨大な楠が東に倒れる程の突発的豪雨、爆弾的気圧並みに発達した強い低気圧の来襲。片頭痛を持つ信長だけに、翌朝の奇襲のタイミングが分かったのではないでしょうか。

桶狭間以外にも、信長が悪天候を予知する天才だったという史実が残っています。船乗りさえ止めた大風の日に船出して、大勝した村木城攻め。大雨をついて成功した浅井朝倉戦での大ずく砦の奪取。比叡山延暦寺の焼き討ちでは、小雨模様の天候の中、京から坂本まで一気に軍を移動させ、すぐさま町に火をかけています。大河内城攻めでは、予想外の大雨すぎて、自軍の鉄砲の種火が消えて敗戦した、なんて記録があるくらいです。

信長が戦いをしかける時だけ都合よく、何度も突発的に雨が降るのは偶然でしょうか? 片頭痛は、天候、特に、これから雨が降る低気圧に反応する頭痛です。信長が片頭痛持ちなら、正確に雨の襲来を予見することができたでしょう。天候の激変を誰より早く予測することができるから、奇襲も高確率で成功したのではないでしょうか?

また、信長の妹、お市の方の娘である茶々とお江、お江の息子である徳川家光も頭痛持ちであった、と記述が残っていることも、遺伝体質が大きい片頭痛の性質を考えると、信長片頭痛説をサポートするでしょう。信長が、当時好んでいたという奇抜な西洋風ファッションも、ファッションセンスが独特で飛びぬけている片頭痛で説明がつくかもしれません。

なぜ信長は、敦盛を好んで舞ったのか?

もしかしたら、天候をこれほど精密に当てることができる信長の片頭痛タイプは「天才型アウラ片頭痛」だったかもしれません。天才型アウラ片頭痛の場合、三叉神経と高位頚髄神経の興奮から、首こりと肩こりがキツイことが特徴です。

現存する敦盛の舞は、背筋を正し、背筋のインナーマッスルを意識しながら、肩甲骨を大きく開き、ゆったり呼吸を整えながら舞っています。天才型アウラ片頭痛タイプの肩こりに効く体操が、首と肩のインナーマッスルをほぐすフラダンスです。ですから、当時のフラダンスに相当する運動が、信長にとっては、「敦盛」だったのではないでしょうか?

信長がフラダンスを踊ったら? フラダンス感覚で舞っていたのが、実は「敦盛」!? ちょっと怖いイメージの信長も、肩こりに悩まされていたのかも……。そんなイメージで織田信長を想像すれば、片頭痛が日本史の一翼を担ったのではないかと、少し楽しく眺められるのではないでしょうか。

【参考文献】
鳥越憲三郎:中国正史 倭人・倭国伝全釈 
清水俊彦:頭痛女子のトリセツ
谷口克広:織田信長合戦全録