川越の観光・旅行/川越の観光スポット

「小江戸・川越」蔵造りの町並みを歩く

川越は江戸時代に川越城の城下町として繁栄したことにより、「江戸のように栄えた町」として小江戸と呼ばれるようになりました。一番街通りには今もなお蔵造りの商家が多く残り、昔の佇まいを偲ばせています。

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江戸の面影を残す、蔵造りの町並み

 

 

天正18年(1590年)、初代藩主となる酒井重忠を迎え川越藩が立藩すると、歴代藩主に松平信綱や柳沢吉保などの江戸幕府の重鎮が次々と就任し、軍事上の要所となった川越は、江戸からも近いことから小江戸と称されるほど大いに栄えました。

川越は、その市街地の周囲を円を描くように流れる新河岸川で囲われています。その川を越えないとたどり着けないというところから、「河越(川越)」と名付けられたのが地名の由来と言われています。

寛永16年(1639年)、川越藩主・松平信綱の指揮のもと、城下町川越の整備、新河岸川の改修整備が始まりました。やがて荒川と合流し江戸の隅田川の流れとなる新河岸川は、川越と江戸を結ぶ舟運ルートとなり、江戸からの物資や文化はこの川に乗って川越に運ばれてきました。

川に敷かれた上新河岸、下新河岸、扇河岸、寺尾河岸、牛子河岸の5箇所の河岸場は川越五河岸と呼ばれ、約300年もの長い間、外港の役割を果たしていました。

明治時代に入り鉄道が普及し始めると、川越と江戸を4日から5日で往復していた舟はやがて衰退してゆき、昭和6年(1931年)、舟運はついに廃止となってしまいました。
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川越の商人たちは舟に揺られて江戸へ赴くたびに、江戸の文化を川越へ持ち帰りました。川越の蔵造り、外壁に黒漆喰が塗られているのは、日本橋小舟町、東堀留川沿いに連なる豪華な黒塗りの蔵造りや土蔵を真似たと言われています。明治26年(1893年)の大火で街が全焼してからというもの、防火意識が高まり、丈夫で耐火建築の漆喰の蔵造りが川越の街にも次々と出来上がりました。

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一番街通りには今もなお蔵造りの商家が多く残り、昔の佇まいを偲ばせています。明治時代に隆盛を極めた煙草卸商「万文」は、それから100年後の現在、川越市蔵造り資料館となって歴史を重ね続けています。

■川越
場所:埼玉県川越市幸町周辺
アクセス:西武鉄道新宿線「本川越」より徒歩15分
URL:http://www.koedo.or.jp/ (社団法人小江戸川越観光協会)

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