ごまかしをせず、裸のプロレスをするレスラー。1950年生まれでありながら、なお今も第一線で戦う姿は一目置かれる存在です。元相撲力士。「天龍チョップは最もえげつない」とジャンボ鶴田をうならせました。

天龍源一郎のココがスゴイ!

■ジャイアント馬場のお気に入りだからグリーン車
ジャイアント馬場に大相撲の経験をかわれ、期待されていたため、巡業は毎回グリーン車でした。グリーン車に乗れる日本人選手は、馬場、ジャンボ鶴田、天龍の3人のみだったことからも、いかに特別待遇だったかが分かります。ただ、レスラーとしてはまだ弱かった時代です。

■「鶴龍コンビ」「鶴龍対決」で全日本を盛り立てた
「鶴龍コンビ(ジャンボ鶴田)」で「長州・谷津組」と抗争するようになったことをきっかけに、闘争心むきだしの試合スタイルへと変わっていきます。「地方でも手を抜かない」戦いは、地方に住む多くのプロレスファンの心をつかみました。また、「鶴龍対決」(鶴田とのシングル対決)は全日本プロレスの一番人気のカードとなり、長州離脱後の全日本を盛り立てました。

■怒涛の「新日本」倒し
1992年にWARを設立後、新日本への対抗心をむき出しに。1993年1月長州力、2月木村健吾、6月と8月橋本真也、9月蝶野正洋、馳浩、12月藤波辰巳をすべてシングルマッチで破りました。

■馬場、猪木の双方からピンフォオール勝ちを収めた唯一の日本人
1989年11月にスタン・ハンセンと組んでのタッグ対決で、馬場からパワーボム→エビ固めでピンフォールを奪いました。1994年1月に東京ドームでアントニオ猪木にピンフォール勝ちを決めました。

■「プロレスラーはよけたら負け」の信念で今も現役
雑誌のインタビューで、「なぜプロレスラーは技を避けないのですか?」という質問に対し、「よけられないんですよ。よけたら負けなんですよ。一度やっちゃったら、こいつにはもう勝てないって思っちゃう。俺はね」と答えています。

※ちなみに、私の妹が、都内の某スポーツクラブで天龍さんを見かけ、父が大ファンだと伝えると、その場でTシャツにサインをくれたという、ファン思いの一面があります。




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