社会である以上、必ず役割がある。
「役割」とは、実は自信を育てる大切なものなのです。
諺に「働かざる者食うべからず」というのがあります。「社会にいる以上、なんらかの形で人様の役に立ちなさい。その上でご飯を食べさせていただきなさい」という意味です。昔労働はお金より糧を得るためのもの、自分が生きていくための食いブチを得るために行うものであるという感覚のものだったのでしょう。畑作など農作業が中心だったので余計にそうなったのでしょうね。いつからかホワイトカラーが増えて稼ぐ対象がお金に移っていきました。「糧を得ている」といってそれをすぐ理解できる子どもはいまいったいどのくらいいるでしょうか?
個人的には家庭というところが、それを教え込む場所であるべきだと思っています。差別用語にもなりますが、昔は「誰のおかげで飯が食えてる」などという言葉があった時代もありました。それがまかり通るほど、糧を得てきている人間がえらいと誰しもが思っていた時代の表れでもあるのでしょう。人道的に見たら決して許される言葉ではないのですが、その裏にある「人は糧を得るために額に汗して働かなければならない」といった教育は、いつのまにか希薄になった気がしています。
その結果、ニートやほかの問題が浮上しているとは考えられないでしょうか? あるいは働く喜びを学習する機会が少なくなっているとも言えるかもしれないですね。それを裏付けるかのように中学高校などでは「職業体験」といったキャリア教育が組み込まれてきています。
人は社会の役に立つために生き、そしてその対価として糧を得る。それは本当に基本的なことです。あまりに基本的なこと過ぎていつの間にか家庭の中でそれを継承していかなくなってしまったのかもしれません。でも、よく考えてみてください。家庭でそれを教えなくなったら、それを子どもたちはどこで学べばいいのでしょうか? また昔の子どもたちはそれをどこで学習していたのでしょうか? その違いは、なんだと思いますか?
家族としての自覚と自信を育てる
家族の一員として、仕事を与えることはとても大切です。
わたしが中学生くらいのときは、そんな話がよくありました。わたし自身も夕刊を取るのが係であり、ほかに洗濯物や夕食の洗い物など年齢が大きくなるたびに仕事が増やされてよく親と喧嘩したことを思い出したりします。一方で今の子どもたちは一体どのくらい家庭でお手伝いをしているでしょうか?
2011年の花王株式会社生活研究センター調べではお手伝いをする子どもの割合は、20年前に比べて男子の方が増えており女子は減少傾向にあるといいます。
http://www.kao.co.jp/lifei/info/110804/index.html
それでも、男子二割から三割に増加、女子は四割から三割へ減少(週三日のお手伝い)といった割合になっており、賛否の分かれそうなところではないでしょうか? この調査でも家事に前向きな子は時間を有効活用できており、家族の一員としての自覚と自信を持ち、将来にも明るい希望を持っているとの結果が出ています。月齢が小さくてもお皿を下げる、洗濯物をかごに入れるなど、小さなお手伝いはいくらも家庭の中にあるのではないでしょうか?それらを上手く発見し組み合わせて子どもの係りを作ってあげ、家族の一員として自覚を持たせることは子どもが社会性を学ぶ上で大きな意味を持つような気がします。
是非、今年は子どもの係ぎめにトライしてみてはいかがでしょうか?