石川尚のWAKUWAKUプレスレポート#48
ウィーンで出逢い、日本で開花した二人のデザイン。
「ねぇ、ウィーンからきた日本人デザイナーって知ってる?」(知人)
えっ、ナニ?それ?……「それもウィーン工房がらみの」
いやぁ、まったく知りませんでした、こんな方がいらっしゃったとは。
それも、筆者が愛してやまないウィーン(オーストリア)に縁がある方とは、、、ガァ~ンでした。
その名も『上野伊三郎(1892-1972)と上野リチ(Felice”Lizzi”Ueno-Rix,1893-1967)』、建築家とデザイナー、そして教育者のご夫婦です。
次の写真を見て頂きたい。
なんだか時代めいた室内写真ですが、この空間は建築家:村野藤吾が…… (写真をクリックすると画像が拡大され、解説文が続きます。) |
素晴らしく、可愛い、そしてリッチな壁面でしょう!! この壁デザインを担当したデザイナーと建築家:村野藤吾との関係も知りませんでしたが、とにかく活動の全容がほとんど知られていない『ウィーンと日本を結ぶデザイナー、建築家、そして教育者:上野伊三郎+リチ』。
ヤバッ!ものづくりを生業とする日本人のひとりとして知っていなければいけない、義務感、使命感(大袈裟かぁ。。)から、慌てて展覧会終了間際の目黒区美術館に向かったのです。
いやぁ、滑り込みでも実作品を観ることができ、感激しとります!!
(左)JR目黒駅から徒歩5分。目黒川の目黒新橋を渡って右折、遊歩道へ。(右)約1分ほどで目黒区民センター内にある目黒区美術館へ到着。 |
美術館ロビーで取材アポを取らして頂いた学芸員:佐川さんに本展覧会概要をお聞きしました。
上野伊三郎+リチ夫妻は、1963年に京都市立美術大学を退官し、美術学校:インターナショナルデザイン研究所(現京都インターアクト美術学校、2009年3月に閉校)を設立。市立美術大学時代の教え子には、柳原良平(トリスウイスキーのCMイラスト、懐かしい!)、田中一光(グラフィックデザイン界の大御所)氏らがならぶ。
2006年、京都インターアクト美術学校から長年大切に保存してきた創立者の上野夫妻の全作品並びに資料が、京都国立近代美術館に寄贈され、夫妻の篤志を答える為、代表作の展覧会を京都国立近代美術館と目黒美術館で開催することになったとのこと。
目黒区美術館は、上野夫妻と親交のある村野藤吾と縁がある美術館。というのも、現目黒区総合庁舎は旧千代田生命本社ビル、このビルこそ村野藤吾がデザインした名建築のひとつ。村野デザインの魅力を伝えていくために、建築ツアー等も企画し、建築家の足跡をひも解く活動を続けているという。
話を本展覧会に戻そう。
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わが国のモダニズム建築の揺籃期に、関西初の建築運動となった「日本インターナショナル建築会」を組織した上野伊三郎は、ブルーノ・タウトを日本に招聘した人物として、上野リチは、伊三郎と1925年に結婚後、オーストリアから日本に渡り、ヨーゼフ・ホフマン率いるウィーン工房で培った創作理念をわが国にもたらした人物として、それぞれ日本の近代建築史やデザイン史に名前が刻まれつつも、二人の活動の全容はこれまでほとんど知られてきませんでした。(中略)本展では京都国立近代美術館に寄贈された上野夫妻の作品群、(中略)まさに「幻のコレクション」を中心に、夫妻の活動の足跡を四つの章でたどり(中略)「ウィーン=京都」の両都市間で開花した上野夫妻の創造実践を、建築・デザイン・工芸などジャンルを横断した視点で再考し、あらためて総合的にふりかえる貴重な機会となるに違いありません。
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(引用:展覧会プレスリリース)
佐川さん(学芸員)のお話やプレスリリースに記載されているように非常に貴重な作品は、日本近代デザインや教育機関の足跡を知るためにも、より良い生活環境を作り出そうとしたものづくりに通じる視点や考え方の実践を示してくれるだろう。そして、何よりも知られざるデザイナー:上野夫妻ってどんな人?どのような作品?、ウィーンで出逢い、日本で開花した二人のデザイン?……ファニチャーイストとしては、?マーク100%の展覧会なのです。
本記事では、目黒区美術館のご協力のもと、前編後編2部作でこの展覧会の様子をご紹介します。
まずは、エントランスロビーから第1章「上野伊三郎・リチのウィーン」。
ヨーロッパ船上の伊三郎とリチの写真を掲げる第1章コーナー壁面。 (写真をクリックすると夫妻の画像が拡大されます。) |
第1章「上野伊三郎・リチのウィーン」の会場風景を次のページでご紹介します。