「総体性と謙虚さを学びとること」:Bernard Leach(バーナード・リーチ)

「バーナード・リーチ展」に行ってきました。

いやー久々に感激しましたね!…と言うのも、非常に温かく、そして人間味溢れ、それでいて現代的な感性がそこにありました。それも約100年から30年程前の陶器や磁器そして絵に、です。

そんな陶器や磁器がファニチャーと関係あるんですか?って…あるんですねーこれが。それも日本の近代デザインに非常に関係あるのです。

「バーナード・リーチ」と聞いて、皆さんお分かりになるでしょうか?
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バーナード・リーチ   (引用:バーナード・リーチ展,朝日新聞発行,P25) ●クリックすると拡大します。

バーナード・リーチは、英国の陶芸家です。英国人といっても実は非常に日本と縁があるのです。
両親の関係で香港に生まれ、幼児期を日本で過ごしたリーチは、英国の美術学校でエッチング(版画技法のひとつ)学び、小泉八雲の本などから日本への憧れを募らせ、22歳で再度日本に渡りました。

日用品の中に「用の美」との出会い

リーチは、日本で初めてエッチングを教えた外国人。当時では珍しいエッチングを教えるのちに日本民藝運動を起こす柳宗悦と知りあい、日常生活の中での芸術に目覚めます。
日常の暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見いだし、活用する日本独自の運動が、「日本民藝運動」。もちろん現在も続けられていますが、当時の日本民藝運動の中心人物である柳宗悦、富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎、芹沢ケイ介、棟方志功、黒田辰秋など蒼々たる工芸作家メンバーとリーチは交遊を深めました。
東京の日本民藝館や京都の河井寛次郎記念館では、どっしりとした家具から陶器、日用品など当時の民藝運動の様子がわかり、筆者にもとても印象的な記憶として残っています。
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楽焼走兎図大皿 D:バーナード・リーチ 1919年  (引用:バーナード・リーチ展,朝日新聞発行,P39) ●クリックすると拡大します。

さて、リーチは「楽焼」の絵付体験から陶芸に興味を抱き、当時東京で窯をかまえていた富本憲一(陶芸家)を誘って六世尾形乾山に入門し、陶芸家の道を志します。
日本に11年間滞在した後、 1920年に濱田庄司(陶芸家)を伴って英国に帰国しセント・アイヴィス(英国南西部)に登窯を築きました。
その後もリーチは何度も来日し、日本各地の窯を巡りました。各地の陶工たちに惜しみなく技やデザインを教え、自らも優れた作品を残しています。
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筒描大皿/ブルタニーの玉葱売り D:バーナード・リーチ 1934年  (引用:バーナード・リーチ展,朝日新聞発行,P55) ●クリックすると拡大します。

ここで大変興味深いのは版画家、陶芸家であるリーチが、日本の産地を巡るうちに各地の様々な工芸品・道具作りに影響され、影響した点です。
その結果、リーチが目指した「東洋と西洋の美の融合」は、近代日本の陶芸や工芸が進むべき1つの指標となったのです。もちろん、デザインに対しても。

中でも家具作りにおいては松本民藝家具が、そうですね、無垢材を使い、ダークブラウンカラーの重みのある手作り椅子やボード家具は、とても有名。
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ウインザーチェア(引用;民藝展ー用の美とこころーリーフレット)   ●クリックすると拡大します。

今から50余年前、まだタタミと座卓の生活が当たり前だったころに欧米家具のデザインを取り入れ、当時衰退しつつあった全国でも有数の家具生産地の松本。そこで、高度な和家具職人に作らせた洋家具は、美しく完成されたデザイン、しっかりとした作り、風合いのある無垢材を使用したものでした。
日本人のための和風洋家具が、松本民芸家具なのです。
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当時の様子    (引用;松本民藝家具組合ホームページ)    ●クリックすると拡大します。

戦後間もない1953年(昭和28年)来日したリーチは、松本でウィンザーチェアに代表される英国家具製作を指導しました。この英国スタイル和風洋家具が、松本民藝家具のベースとなったのです。

和風洋家具としての松本家具は以前から知っていましたが、リーチや柳宗悦らが指導して完成されたことを筆者もあらためて認識しました。