妊娠と糖尿病のサイエンス

妊娠と糖尿病のサイエンス

妊娠中は胎児の命を維持するために女性ホルモンの分泌が盛んになり、妊娠は「女性ホルモンの嵐の季節」とさえ言われます。当然ながらインスリンも血糖値も大きく影響されます。

 

糖尿病でなくても起きる妊娠時の変化

受胎後すぐに女性の体は女性ホルモンによって変わり始めます。基礎体温は高くなり、心拍数も増えてビートも力強くなります。腎臓もフル活動に備え、当然ながら体も大きくなってきます。

糖尿病の有無に関わらず、妊娠するとインスリンの分泌もその目的も変化します。インスリンはブドウ糖を筋肉細胞や脂肪細胞に取り込ませてエネルギーとしたり、エネルギーのストックとなる脂肪として蓄えさせますが、妊娠するとそれらの働きがさらに強まり、妊娠期後半に必要となる栄養素やエネルギーの備蓄を始めます。

体は成長ホルモンを分泌して膵臓のベータ細胞からのインスリン分泌に拍車をかけるのです。

1型糖尿病の妊婦に起きる不思議な現象

言うまでもなく、1型糖尿病者は自己免疫の誤作動によってインスリンを作るベータ細胞の機能をほとんど失っているのですが、驚くべきことに妊娠中はいくらかの、あるいは、ある程度のインスリン分泌を取り戻すことがあるのです。

1型糖尿病がありながらミス・アメリカの栄冠を手にしたニコル・ジョンソンさんもその一人。私もある1型の日本人女性から、妊娠中はむしろ血糖コントロールが容易だったという経験談を聴いたことがあります。残念ながら出産とともに元に戻ってしまうのですが……。

これは妊娠に伴う強力な成長因子(増殖因子)によるベータ細胞の復活と、妊娠に伴う免疫システムの抑制(胎児は基本的には他者、つまり侵入者ですから、それを攻撃しないように出産までの9ヵ月間は抑制される)によってベータ細胞が守られるからではないかと考えられています。

残念ながら1型糖尿病の妊婦全員に起こることではなく、ニコルさんの話ではアメリカでは4人に1人位の割合に見られるということです。私は座談会でニコルさんと話をしたことがあるのです。

妊娠中のインスリン量変化とその他の注意点

1型糖尿病者でインスリン歴50年のメダリストを検査したら、なんと411人中の67%にCペプチドが検出されたという──つまり、Cペプチドというのはインスリン分泌の際に一本のインスリンの鎖から切り離されるペプチドのことで、これがあることは自分のインスリンがまだ少量でも分泌されている証明になる──驚きの発表がジョスリン糖尿病センター(ボストン)から2010年8月にありました。まだまだ、分からないことがたくさんあります。

たぶん、ニコルさんのように1型の発症が高校生と遅かった女性は、妊娠によってこんなプレゼントをもらうことがあるのですね。

ちなみに、Diabetologia(2000)43:1329-1336によると、10人の1型糖尿病妊婦の妊娠前のインスリン必要量は一日体重1kgあたり平均0.7U(ユニット)でしたが、体重が2kg増えた妊娠前期(3ヵ月間)では逆に0.6Uと減少したデータが発表されています。もちろん、C-ペプチドも検出されています。

妊娠した体はインスリンを妊娠前の2~4倍も必要とします。ただし、母体のインスリンは胎児には届きません。最初は栄養素を体に貯蔵するために多く食べるようになりますし、28週以降の後期にはインスリン抵抗性が強くなるので、より多くのインスリンが必要となります。

ですから、インスリン分泌能力が低ければ、妊娠を機に2型糖尿病が見つかることもありますし、妊娠糖尿病と診断されることもあります。

このように妊娠した体はインスリン分泌を増やすのですが、同時に初期はインスリン感受性も高めます。このことはすでにインスリン注射をしている糖尿病患者の妊婦にとって低血圧の注意が喚起されます。特に「つわり」の時期と重なりますので、食べたものを吐いてしまうとボーラスインスリンとの調和が難しくなりますので医療チームの指導を受けましょう。

母体のインスリン抵抗性が高まる妊娠期

胎児は母胎と胎盤を介して、栄養素や酸素と炭酸ガス、老廃物の交換をしています。この胎盤は同じようにホルモンや生理活性物質を放出して胎児の成長をサポートします。

妊娠の一つの影響に、母体のインスリン抵抗性を高める副作用があります。これは食料が日常的に不足していた原始時代には、胎児に栄養素を優先的に渡すとても大事な役目があった名残りと考えられています。これも胎盤の役目です。

食物を食べるとインスリン抵抗性があるため、血糖が高止りする。それが食料不足でも胎児の成長を順調にします。現代でも慢性的に食糧難のアフリカ難民は自律的に血糖値を高めて飢えをしのいでいます。

胎盤がインスリン抵抗性を高める理由として、以前から知られていたようにインスリン作用を悪くする女性ホルモンのプロゲステロン分泌を増やすことも機序の一つでしょうが、今日では2型糖尿病のインスリン抵抗性と同じ「炎症」と「サイトカイン」をむしろ胎盤がコントロールしているのではないか、と考える研究者が増えています。まだ全体像は明らかではありませんが、胎盤が炎症の引き金となるサイトカインを目的をもって放出してインスリン抵抗性を高めている可能性が大きいのです。結果としてインスリン抵抗性になるのではなく、胎児にブドウ糖なとの栄養素を優先的に与えるためです。

妊娠が2型糖尿病や妊娠糖尿病に関与しやすいのがなんとなく見えてきました。

以上の記事はまだ日本の医学界で一般に認められているものではないかも知れませんが、アメリカ糖尿病協会の一般人向けの雑誌には、このような興味ある話題が専門医の発言として掲載されているので紹介しました。

妊娠はすべての女性にとって、心が浮き立つようなことであり、また、同時に出来れば逃げ出したくなるような不安を伴うものかもしれません。特に糖尿病があれば心配です。でも最新の医療は女性を守ることができますよ。

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