蒸気機関車(SL)C61形20号機が38年ぶりに復活した。JR東日本では、D51形498号機、C57形180号機(SLばんえつ物語牽引用)につぐ3両目の動態保存SLとしての再デビューである。これにより、各地でのイベント運転が余裕をもって行えるようになり、D51の負担も軽くなったようだ(なお、只見線などで運転されるC11形は、JR東日本が真岡鉄道からレンタルして走らせている機関車で、JR東日本の所有ではない)。
C61形蒸気機関車とは?20号機の履歴
C61形は、第二次世界大戦終了後、1947年から1949年にかけて製造された戦後生まれの機関車である。戦時体制下、軍事輸送増大に伴い、D51など貨物用機関車が大量に製造されたが、戦後は一転して、貨物用機関車が余剰となり、復員などにより、旅客用機関車が不足することになった。かといって、戦後の混乱期に機関車を新製する余裕はなく、余ったD51のボイラーを再利用し、足回りを新製して誕生したのがC61形機関車だった。東海道本線や山陽本線など第一級の幹線で特急を牽引したのがC62形だったが、C61形は、それに準じる幹線筋での優等列車牽引用として、東北本線や鹿児島本線で活躍した(20号機ではないが、他のC61形が鹿児島本線では寝台特急「はやぶさ」を牽引している)。
C61形20号機は、1949年7月に改造機として誕生。すぐに青森機関区に配属され、東北本線や奥羽本線で活躍した。C62形などに牽引されて上野から北上してきた特急「はつかり」、寝台特急「ゆうづる」を引き継いで、仙台以北で同列車の先頭に立った輝かしい実績を持つ。しかし、東北本線、さらには奥羽本線の全線電化完成に伴い仕事を失い、1971年には遠く九州の宮崎機関区に転属、日豊本線で最後の活躍をしたあと、1973年8月に廃車となった。