誕生死――なかったことにしない、確かにうまれたいのち
誕生死というのは、亡くなっても生まれてきてくれたと、子どもを生の側から見つめた言葉
大葉:
一度宿した命を流産で失ってしまった場合や、早産で生まれて育つことができない場合、出産のときに何の医学的理由もわからないまま亡くなってしまう死産を、昨今では総称して「誕生死」と呼んでいます。「一度生まれてきてくれたけど亡くなってしまった」ということで、赤ちゃんをいなかった存在にはしないで、「うまれた」ことを受け止めようという流れになってきています。
竹内:
どんなに医療が発達しても、1000人に1人は生まれてから亡くなってしまう赤ちゃんがいるんです。悲しいけれど、それは人が人である限り、人間の力ではどうしようもないこと。
今までの日本の医療現場では、赤ちゃんが亡くなると、情が残るといけないからと、会うことも、抱くこともできませんでした。そのことに疑問を持って以来、私の病院では、亡くなった赤ちゃんでも、生きて産まれてきた子と同じような意識で接してきました。赤ちゃんと一緒に写真を撮ったり、沐浴をしたり、足形や手形を取ったりしました。この子は、確かにうまれたんだって思える。それが大切じゃないかなと思いました。
亡くなってしまったけど、生まれている赤ちゃん。つらいけど、なかったことにはしないで、いのちを受けて止めてあげてほしいです。そうやって自分の感情を出していくことで、次につながっていく。亡くなった子と一緒に生きていくという思いが生まれたり、その子がいるから生きていけるというね。
思い通りに行くことが幸せじゃない
「想定もしなかったことが起こるのが生きるということ」と大葉ナナコさん
大葉:
映画で伝えたかったもう一つのメッセージに、思い通りに行くことが幸せなんじゃない、というのがあります。それを感じ取ると、強くなれるし、本当の自分の根っこができてくるんじゃないかなと思うんです。たとえば、バースプランの話で、「バースプラン通りになった!」というのが幸せなんじゃなくて、全然バースプラン通りにならなくても、それがいいお産じゃなかったことではないですよね。想定もしなかったことが起こるのが、生きるということ。それが人生のめぐり合わせだったり、出会いだったりします。赤ちゃんとの出会いも、思い通りの出会いではないとしても、それが人生の味なんですよね。
竹内:
人によって、それぞれの生き方によって、きっと感じ方が違うんだろうね。違っていていいはず。夫婦でも感じ方が違う。こうしなきゃいけないとか、周りのことを考えて自分を押さえてしまうのではなくて、自分が正直にどう思ったのか、その気持ちを大切にしてほしいです。答えは一生ないんだと思う。ただ、自分がどう感じてるのかというのをそのまま感じながら生きていくことが、自分のなかの生きる力になっていくんじゃないかな。
大葉:
この映画は、産む前の人、授かる前の人、また、産んでからの人が、大事な人と見てほしいなと思います。そして、「私たちのところに生まれてきてくれた子どもって!」と、あらゆる言葉を探して、感じたことを表現して、共感しあう楽しみを味わってほしいです。自分が生まれているということ、生まれている同士が出会っているということ、そして、そのふたりから生まれてきた子どものことを。「生まれてくれて、来てくれて、ありがとう」とあらゆる命に対する思いやイメージを、大事な人と膨らませてほしいですね。
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