(記事掲載日/2007.08.15)

第2次世界大戦前の1928年、世界各国は「不戦条約」を結んで戦争の放棄を誓っていました。しかし、それからわずか3年後に満州事変が起こり、第2次世界大戦へと突き進んでいきます。不戦条約はなぜ機能しなかったのでしょう。

1ページ目 【不戦条約とはどんな条約だったのか】
2ページ目 【国際的「ユートピア主義」の崩壊】
3ページ目 【21世紀の平和維持にも必要な「リアルな視点」】

第2次大戦前の「不戦条約の成立」

第1次世界大戦の戦場の様子(写真/アメリカ政府サイトより)
第1次世界大戦の戦場の様子(写真/アメリカ政府サイトより)。
世界平和を求める動きは第1次世界大戦前から起こっていましたが、活発になったのはやはり第1次世界大戦以降です。

多くの国民が犠牲になり産業にもダメージを与え、敵味方双方の国土を疲弊させたこの大きな戦争は、国際平和実現への流れを押し進めていくようになります。

さらに、戦争末期にアメリカ大統領ウィルソンが発表した「平和原則14カ条」や、ロシア革命の指導者レーニンが発表した「平和の布告」などは、「旧外交(オールド・ディプロマシー)」に対する「新外交(ニュー・ディプロマシー)」と呼ばれ、多くの賛同者を呼びました。

そして、ウィルソンの提唱に基づいて1920年に国際連盟が発足、アメリカが議会の反対で不参加になったものの、戦勝国であったイギリスとフランスは平和外交を進めていきます。

このようななかで1922年にワシントン軍縮条約が、1926年に西ヨーロッパの安全保障を定めたロカルノ条約が締結、そして1928年にパリで不戦条約が締結されるに至ります。

このように国際関係が安定していた1920年は「黄金の20年代」よばれ、ヨーロッパの人々は永久に続く(ように思えた)平和を謳歌していました。

不戦条約には大きな欠陥があった?

ケロッグ
不戦条約締結に力を尽くした当時のアメリカ国務長官・ケロッグ(写真/アメリカ政府サイト)。
しかし、1929年の世界恐慌は、そのようなムードを壊してしまいます。大不況が到来した国のなかにはファシズムが台頭し、軍事的な手段で不況を克服しようとする国々が現れます。

日本もその例外ではなく、1931年には満州事変を起こして満州(中国東北部)を占領、この地を事実上の植民地としていきます。このようなことで、日本は不況を乗りきり、経済を拡大しようとしていました。

そして1935年にはイタリアが、エチオピア侵略を開始。ドイツでもナチス政権が再軍備を進め、侵略の準備をしていました。──こうして、不戦条約は「砂上の楼閣」となっていったのです。

不戦条約には、欠陥があったといわれています。第1条をみてみましょう。

「締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス」(下線はガイドによる)

ここでは単に「戦争を否定」しているわけです。しかし、満州事変が「戦争」と呼ばれないように、戦争ではない武力行使もあるわけです。宣戦布告のない戦争などがそれにあたります。

不戦条約は、ここまで否定しなかったことが大きな問題だったといわれています。

これを受けて、戦後制定された国際連合憲章では、このように規定されています。

「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」(第2条4号、下線はガイドによる)

国連憲章では、狭い意味での戦争だけでなく、武力行使一般を否定しているのです。こうして、不戦条約の欠陥を修正したといわれています。

条約の欠陥だけが問題だったのか

しかし、不戦条約の「欠陥」がなければ、第2次世界大戦は防げたのでしょうか。

たとえ「欠陥」がそのままであっても、国際的な平和の気運が高ければ、「戦争とはあらゆる武力行使をさす」という解釈が生まれ、国家を拘束することができたのではないでしょうか。

しかしもちろん、そんな解釈がなりたっても、戦争をする国は戦争をしたでしょう。

不戦条約が「骨抜き」になった国際的な背景を、次のページで見ていきたいと思います。