日本のODA(政府開発援助)は、いま、どのようになっているのか。そしてこれからのODAは。「変わりゆくODAの基礎知識」後編は、日本のODAについての基礎知識をお話していきたいと思います。
◎変わりゆくODAの基礎知識・前編はこちら
1ページ目 【ODA大国から大幅削減へ、世界の流れに逆行する日本】
2ページ目 【借款から「人への援助」へ、変わりつつある日本のODA】
3ページ目 【始まっているODA改革、そしてこれからの日本ODA】
【ODA大国から大幅削減へ、世界の流れに逆行する日本】
1990年代には世界一だった日本のODA
1978年~2007年までの一般会計ODA予算の推移。 |
1954年、日本はイギリスを中心として策定されたアジア・大平洋の開発途上国援助計画であるコロンボ・プランに参加し、本格的にODA活動をスタートさせます。1958年にはインドに対し円借款を行い、その量は拡大していきました。
また、ODA実施のための制度整備も行われ、1961年に海外協力援助基金(OECF)、1974年にはODA実施期間である国際開発事業団(JICA)が設立されました。
そして1976年、日本が各国への太平洋戦争に対する賠償支払を終えると、政府は「ODA中期計画」を策定、支出額の増額や、GNP(国民総生産)に対するODAの比率向上を目指していくことになります。
こうして日本のODAは拡大の一途をたどり、1990年代にはODA拠出額が世界一となるのです。
財政悪化とODAの大幅減少
しかし、日本のODAは1990年代後半から減少の一途をたどるようになります。その大きな原因は財政赤字でした。バブル崩壊と税収激減、大量の国債発行によって厳しい財政状況に陥った政府は、ODA予算を大きく削減していきます。
1997年、一般会計において約1.2兆円計上されていたODA予算は、翌1998年におよそ11%削減されます。そして2000年代に入り、構造改革が進行するなかODA予算はさらに削減され、2007年度予算では約7千億円、ピークだった1997年に比べておよぞ38%も減少しています。
厳しい予算編成のなかでODA以外にもいろいろな予算が減少しているのですが、ODA予算の減少は突出しています。公共事業費も大きく削減されていますが、それでも1997年→2007年で29%の削減です。ODA予算はそれ以上に減らされているのです。
背景には、ODAに対するさまざまな批判や、ODAに対する冷ややかな目が存在します。日本のODAは「役に立っていない」という声、「日本が不況で庶民の生活が苦しいのになぜ他国を助けるのか」という考え……。
世界の大勢はODAの積極的な増加
「9.11」のあと、先進各国は競ってODA予算を引き上げて途上国の貧困問題に取り組んでいる。唯一日本だけは予算を減らしている現状。 |
この辺りは「かわりゆくODAの基礎知識(前編)」でもお話したのですが、各国はテロの温床は開発途上国の貧困にあると考え、貧困撲滅のためODAを増やし、積極活用しようと考えています。
これは特に2001年の「9.11」のあと、特に顕著になりました。このあと、アメリカを中心に先進各国はODAを一気に増やしています。
また、地球温暖化をはじめとする環境問題の深刻化もODA増加の原因です。温暖化を加速する森林伐採や砂漠化などは開発途上国で起こっています。これらを食い止めるために、ODAが必要というわけです。
こうして日本がODAを大幅削減していく流れと反対に、先進各国はODAを急速に増やしてきています。そのため、ODA大国だった日本のODA拠出額は、2007年にはイギリスに抜かれ3位に転落しており、来年には5、6位に転落するという予想もあります。
日本のODAは世界の流れに逆行してでも減らさなければならないのでしょうか。次ページで日本のODAのしくみについてお話していきましょう。