1ページ目 【「自民党派閥制度」の基礎知識】
2ページ目 【二大派閥、森派(清和会)と津島派(経世会)】
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【二大派閥、森派(清和会)と津島派(経世会)】

森派(清和政策研究会)

古くからある派閥の一つです。「万年野党第一党」的存在が続きましたが、小泉政権発足以降力が増し、2005年総選挙によって自民党第一派閥となりました。

森派
森派の系譜。福田派、さらには岸派を源流とする見方もある。


直接の源流は福田赳夫(元首相)の派閥です。福田自身はあまり派閥としての組織化に乗り気ではなかったといわれますが、ライバル田中角栄との激しい抗争(角福戦争)を経て、第2派閥として組織化されていきました。

1980年代、石原派(旧中川派、石原慎太郎現都知事を領袖とする派閥)を吸収した後、中曽根政権後の「ニューリーダー」時代を見据えて1986年に派閥会長職が福田元首相から安倍晋太郎にバトンタッチされました。

しかし、リクルート事件の影響や、自身の病気などにより安倍が政権をとることはできませんでした(1991年死去)。ポスト小泉最右翼の安倍官房長官(2006年9月15日現在)とは親子です。

その後安倍氏の後継をめぐり二人の実力者(三塚博・加藤六月)が抗争を繰り広げ、会長職は三塚が引き継ぎます。やがて加藤は派閥を離脱、政界再編のなかで自民党からも離脱します。

三塚派時代も政権奪取はならず、やがて森喜朗(元首相)と亀井静香(現・国民新党幹事長)の争いとなり、亀井が派閥離脱(後に旧中曽根派と合流)。1998年、森が会長を引き継ぎ、今に至ります(ただし、森首相在任時は小泉首相が会長)。

安倍晋三(現官房長官)と福田康夫(元官房長官)の他に中川秀直(現政調会長)、町村信孝(元外相)、小池百合子(現環境相)などがこの派閥の所属。福田元官房長官の総裁選不出馬により、懸念されていた派閥の分裂は避けられました。

自民党の中では比較的右派色が強いといわれる派閥です。

津島派(平成研究会)

田中角栄の系統を引きつぐ大派閥です。保守本流、あるいは自民党本流といわれることもあります。ただ、第1派閥の座は森派に譲ってしまいました。

津島派
田中派・竹下派を源流に持ち、1990年代にかけて大きな勢力をふるった「経世会」の系譜。


田中角栄が佐藤栄作の派閥をほぼ掌握してできた田中派(木曜クラブ)が原点ですが、直接の源流はこの田中派のほとんどを率いて新派閥を創設した竹下登(元首相)になります。

ただし当時の名称は経世会でした(発足1987年)。今の名前になったのは1996年です。しかし今でも「経世会」とよばれることがあります。

竹下派は竹下政権退陣後も大きな力をふるっていましたが、竹下と二人三脚で派閥を運営してきた金丸信(元副総裁)が東京佐川急便事件の余波で失脚すると、金丸系の小沢一郎(現民主党代表)と竹下系の小渕恵三(元首相)が抗争。

結局、小渕が後継会長となりましたが、小沢は羽田孜(元首相)など大量の議員を引き連れて派閥離脱。この影響は大きく、小渕派となったこの派閥は一時第4派閥にまで落ち込みました。

しかし次第に勢力が回復、派閥の橋本龍太郎が首相につくと(1996~98年)第1派閥に返り咲きます。橋本の後も小渕(1998年~2000年)が首相となり、大きな力を保っていました。

しかし2001年の総裁選で橋本が小泉に敗北してからは勢力が次第に衰えてきています。2003年の総裁選では派閥が小泉支持の青木幹雄(自民参院会長)と反小泉派の野中広務(元幹事長)のグループに分裂、野中の政界引退も加わり、派閥はさらに求心力を失いました。

2001年から会長の座にあった橋本が2004年、日歯連事件の余波で会長を退いてからはその求心力はさらに低下。「旧橋本派」といわれていましたが、2005年に津島雄二(元厚生相)が会長に就任したことで「津島派」と呼ばれるようになり、現在に至っています。

現在は青木、津島の他に有力議員として額賀福志郎(現防衛庁長官)、船田元(元経済企画庁長官)、鳩山邦夫(元労相)などがいますが、いずれにせよ1930年生まれの津島が首相を目指すことは考えにくく、しかしながら独自の総裁候補の擁立も難しい状況です。

自民党の中では比較的中道・リベラルといわれることもありますが、小渕政権時代には新ガイドライン関連法や国旗国歌法などを次々に制定させたこともあります。政策的な特徴が薄く、それが派閥の求心力低下に拍車をかけているではないかという人もいます。

★次ページでは、この二大派閥に続くその他の派閥について解説していきます。