2ページ目 【今もなお「天秤を傾ける」力を持つイギリス国王の権限と影響力】
3ページ目 【国王が「孤独な決断」を迫られるとき─国民からの信頼は欠かせない】
【国王が「孤独な決断」を迫られるとき─国民からの信頼は欠かせない】
二大政党だから、国王の首相任命権は制限できている
イギリスは、二大政党制の国として知られています。20世紀初頭までは、トーリーつまり保守党と、ホイッグつまり自由党の二大政党でした。20世紀になって、自由党が没落し、代わりに労働党が保守党とならんで二大政党になります。で、現在にいたっているわけですね。
なんで二大政党になるかというと、完全小選挙区制の選挙だからですね。一人だけ当選、という制度ですから、第3、第4の政党は育ちにくいわけです。
で、二大政党ですから、ほぼ確実に過半数をとる政党が存在します。ということで、先ほど述べた「憲法的慣習」の「国王は首相を下院の多数党の党首を任命しなければならない。」にのっとって、首相は自動的に任命されるわけです。
しかし、この慣習の想定外の出来事が、戦後になってもたびたび起こっています。
下院の多数党の党首がいなくなったらどうなる
まず第1が、「下院の多数党の党首がいない」場合です。与党党首がなんらかの事情で空席になってしまう場合です。エリザベス女王の時代、1957年と1963年に、それぞれ当時のイーデン、マクミラン首相が病気で辞任することになりました。しかし、保守党はこういう場合党首を誰にするか、規定を設けていませんでした。多数党党首不在になったのです。
マクミランのときは特に深刻で、保守党は首相候補が乱立し混乱しました。ここで、女王の登場です。女王は、病床のマクミランから「助言」をもらい、ヒュームを首相に任命したのです。
これには批判もありました。前首相マクミランには助言を与える権利はなかったのです。女王はこの助言を拒否し、保守党にいち早く民主的に新党首を決めるよう促したほうがよかったのではないかと。
とにかく、女王の決断で首相が任命されました。これにこりた保守党はその後ちゃんとこういう場合の規定を決めました。
しかし、そういう規定があるとはいえ、多数党の党首争いがもめにもめ、反主流派が分裂などをちらつかせて長期化してしまうことも想定されます。今後も必ずこういうことがないとはいえません。
国家存亡の危機に国王は何をする
第2に、国家存亡の緊急事態、つまり戦争、または大恐慌におちいったときです。こういう場合、イギリスでは挙国一致内閣、つまりほぼすべての政党が参加した内閣をつくって対処するのが伝統です。このときもまた、国王はだれを首相にすべきか、助言をあおぎながら孤独な決断をしなければなりません。
第2次世界大戦が起こった翌年の1940年、国王ジョージ6世は保守党のチャーチルを首相に任命し、挙国一致内閣を組閣させます。チャーチルは党首ではありませんでしたし、議会がチャーチルを推したわけでもありません。
推したのは前首相チェンバレンだったのでした。首相がいないのですから、誰の声を聞くかを決めるのは、国王の権限以外の何ものでもありません。
これも、今後はないかな、とは思いますが、しかしいつ何時あるかもしれません。
下院で単独過半数を占める政党がいなくなったらどうなる
最後の可能性が、これは結構現実味のある話で、「下院に多数党が存在しない」場合です。多数党とは、単独で過半数を占めている党のことです。20世紀には、この状況が3回生まれました。1923年、1929年、1974年です。いずれも労働党政権ができているのですが、3回とも政権誕生の経過は異なり、先例にはなりません。
1923年は、保守党が第1党となったものの、自由党と労働党の連合で第2党の労働党党首マクドナルドが首相になりました。1929年は、政権党の保守党が第1党でなくなってしまったため、ボールドウィン首相がとっとと辞めてしまい、過半数を占めていないものの第1党になった労働党のマクドナルドが首相になるしかありませんでした。
1974年のケースは、少し複雑な経緯をたどります。総選挙で敗れた保守党のヒース首相は、なおも生き残りをかけ、弱小政党となった自由党を引き込むことに成功、さらに民族的な色彩の濃いアルスター統一党を抱き込もうとします。
しかし、保守党とアルスター統一党との協議は不調に終わり、ヒースは観念して辞職、第1党労働党のウィルソンが首相になります。
1923年のケースはまだ昔の話なのであれですが、1974年の時点で、仮にヒースの工作が成功した場合、エリザベス女王はヒースとウィルソン、どちらを首相に選択すべきだったのでしょうか。ここは、またまた女王の「孤独な決断」次第になります。
そして、今後もこのようなことがないとはいえません。特に1987年に結成された自由民主党(自由党と、労働党から分かれた社会民主党が合併、略して自民党)が、選挙のたびごとに議席を増やしています。
人気絶頂だったブレアも今はイラク戦争の影で今一つ、保守党も最近は右傾化が強まって国民受けは今一つ、ということで次回の選挙、実は今年の五月には行われそうなのですが、さらに自由民主党がのびるかもしれない。そうすると、また「憲法的慣習」にない「多数党の不在」がおきるかもしれない。
そうなると、国王がまた首相任命のための「孤独な決断」をしなくてはならなくなるかもしれないのです。
国民の信頼があるかないかはイギリスにとってはかなりシビアな問題
そんなわけで、イギリス国王に誰がなるか、というのは感情的な問題ではなく、かなり政治的な問題なのです。誰でもいいというものではなく、「あの王様が首相に任命したんだから文句ないや」といわれる人が国王にならなければならないのです。で、イギリス国民は「不倫して奥さん棄てた皇太子は首相を任命し政治を左右する国王として信頼できない」と思っているわけです。イギリスの調査では次期国王には故ダイアナ妃の長男ウィリアム王子をあげる人がチャールズ皇太子を大きく引き離しているようです(読売新聞2/11号)。
もちろん、「こんなんだったら共和制にしてしまおう」という声もあがっています。
長年にわたって続いてきたイギリス王室の現在の危機を、チャールズ皇太子はどのように考えているのでしょうか。気になるところです。
※ところで、なぜチャールズ皇太子の称号は「プリンス・オブ・イングランド」ではなく「プリンス・オブ・ウェールズ」なんでしょう? 知りたい人はイングランドって、どこ?を見てみましょう!
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