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ロシア・カフカス地方とテロ(2ページ目)

悲惨な結果におわった学校占拠事件がおこった北オセチアのあるカフカス地方。民族・宗教が入り乱れ新たな「世界の火薬庫」といわれはじめています。なぜカフカスでテロはおこるのか。解説してみました。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【カフカス地方って、どんな問題を抱えた地域なんだろう?】
2ページ目 【チェチェン人と北オセチアの人々の微妙な歴史関係】
3ページ目 【ロシア、プーチン政権の姿勢がテロを引き起こす?】

【チェチェン人と北オセチアの人々の微妙な歴史関係】

北オセチアとチェチェン・イングーシの気まずい関係

このカフカス地方は、ロシアがまだ帝国だった19世紀に、占領され植民地化されました。

グルジアより南の地域(「ザ・カフカス」ともよぶ)は今は独立を取り戻していますが、チェチェンなど北カフカス地域はそういった意味でいまだロシアの植民地であるといっていいかもしれません。

時代はソビエト連邦の時代になって、悪名高き独裁者スターリン率いるソ連は第2次世界大戦でナチス・ドイツと激しい戦闘を行います。このとき、スターリンによって、数々の民族が、「ドイツに協力した」といういわれなき汚名を着せられ、強制移住させられます。

チェチェン・イングーシ人もソ連内でみとめられていた自治共和国を崩壊させられ、中央アジアに集団で強制移住させられます。このとき、両民族50万人のうち半数が死亡したと言われています。

その地を併合したのが北オセチア人だったのですね。その後、チェチェン・イングーシ共和国が復活した後も、北オセチア人は併合していた領土の一部を返還しませんでした。ここから、両者の確執がうまれた、という人がいます。



オセット人とチェチェン人の遺恨が原因なのか

しかし、今回の学校占拠事件をこのような事実に小さくおさめて考えるのは、原因をつきとめるうえであまり実のあることとは思えません。

チェチェン人の強制移住だって、ソ連の独裁者スターリンが行ったことであって、オセット人が責められる問題ではありません。オセット人のチェチェン併合だって、ロシア人による侵略、植民よりはましだったかもしれません。

それに、チェチェン人はダゲスタン共和国でアバール人との対立も抱えており、またロシア残留を希望して袂を分かったイングーシ人にもいい感情をもっているわけでもなく、標的はオセット人の他にもいたはずです。北カフカス地域に多く住んでいるロシア人を狙う手もあったはず。

そしてなにより、なぜチェチェン人たちがここまで過激な行動をとるのか、国際世論の同上など引くはずもないような残虐な行為に出たのか、それをわれわれは理解する必要があるのではないでしょうか。次ページで考えてみます。
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