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レーガン時代とアメリカ(2ページ目)

6月5日に亡くなったレーガン元アメリカ大統領。彼の功績と、今のアメリカに与えているさまざまな影響について、考えてみました。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【第40代アメリカ大統領ロナルド=レーガンとは】
2ページ目 【冷戦の早期終結はレーガン大統領の功績か】
3ページ目 【今なおアメリカに強く残るレーガン大統領の正負の遺産】

【冷戦の早期終結はレーガン大統領の功績か】

こちらも要チェック! 政治についての基本知識と基本用語

強硬路線でソ連にのぞんだレーガン政権


彼の政治的な最大の功績は、「米ソ冷戦の終結に道筋をつけた」ことに他ならないでしょう。彼がいなければ、米ソ冷戦はもう少し違った形で終結していたかもしれません。

70年代の融和的な対ソ連政策に反して、彼はソ連を堂々と「悪の帝国」とよび、(この辺だれかに似てますね、そう今の大統領です)ソ連のアフガン侵攻への反発もあって、ソ連に対し強硬な態度で臨みます。

この姿勢は、米ソの間に「新冷戦」とよばれる緊張感を生み、「核戦争4秒前」とかいわれたりする状況を生みました。私が幼いころの記憶としても、この時代、核戦争に対する危機が多いに高まっていたことを覚えています。

彼のぶちあげたSDI構想は、宇宙空間でソ連の核を撃墜するという壮大すぎる内容で、実現はしませんでしたが、こうした態度が、経済的に疲弊するソ連の指導部に「アメリカには勝てない」という空気を徐々に作り出していったことは間違いありません。

そして、ソ連との歴史的和解へ


そんななか、1985年にソ連の指導者となったミハイル=ゴルバチョフ氏は、アメリカとの対決姿勢を放棄、「新思考外交」と称してアメリカへの接近を図ります。

これにさっそく反応を示したのがレーガン氏の慧眼(けいがん)でした。ゴルバチョフ氏の首脳会談の申し出を快諾、数度にわたって会談を持ち、米ソ両国を敵対関係から信頼関係へと一気に持って行きました。

そして歴史的な1987年のINF(中距離核戦力)全廃条約の調印。わずかではありますが、はじめて核兵器が、両国によって減らされたわけです。ゴルバチョフ氏の努力もまたしかりですが、レーガン氏の果断な決断がなければ、実現しなかった。

私は、確か高校生。ワシントンでの歴史的な調印式を生中継で見ました。とても感慨を持ってみました。「冷戦って、終わっていくんだ」

この流れが、1991年、冷戦終結を宣言したマルタ会談(このときレーガンは引退していましたが)につながるわけですね。ゴルバチョフ氏は、レーガン氏の死去を受けてこうコメントしています。

「冷戦終結への道筋に先べんをつけた偉大な政治家だった。先見の明を持って核軍縮競争に終止符を打ち、米ソ関係を改善に導いた」(2004.6.7付読売新聞より)

レーガン時代が今のアメリカに与えているもの


レーガン時代が今のアメリカに与えているものは、少なくないようです。それは正の遺産かもしれませんし、負の遺産かもしれません。次のページでお話しましょう。


(画像提供:esupply)
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