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台湾情勢の基礎知識と台湾

陳水扁総統が再選されて、今後また緊張が走るといわれている中国と台湾。今回は台湾情勢の基礎知識をみなさんにご紹介しましょう。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【台湾はなぜ独自の政府をもつようになったのか】
2ページ目 【台湾人の独自意識が高まった1990年代以降】
3ページ目 【「中台関係」仲介できるのはやっぱりアメリカか】

【台湾はなぜ独自の政府をもつようになったのか】
台湾は自称「中国全土を支配する政府」


こちらも要チェック! 政治についての基本知識と基本用語

中国のようで中国でない。ふしぎな「国」台湾です。なぜ、台湾は中国人が多く住んでいるのに、中国とは独自の道を歩んでいるのでしょうか。今日はその基礎知識です。

第2次世界大戦後、中国(当時は「中華民国」)本土を支配することになったのは蒋介石率いる国民党でした。しかし、国民党の腐敗ぶりや統治能力のなさに、アメリカは国民党政権を見放し、共産党による中国支配を許します。内戦の末、中国本土は共産党のもと「中華人民共和国」がつくられ、国民党は台湾に逃げて行きます。

このとき、あくまで国民党の側から見れば、共産党は「反乱軍」で、国民党が正当政府ということでした。ですから、このときも、首都を緊急、臨時の措置で台湾に移す、ということで、台湾に逃げ込んだのです。ですから今でも台湾は「中華民国」、国土は自称中国全土です。

しかし、やがて共産党政権のもとに落ちるのは必至といわれていた台湾ですが、1950年に起こった朝鮮戦争で、事態は一変します。北朝鮮支援に動いた中国をけん制するため、アメリカは突如国民党政権を援助することにしました。(朝鮮戦争の経緯については、こちらをご覧ください。)

このアメリカの圧力により、中国は台湾に手出しができなくなり、中国と台湾の「分離」が、固定化してしまったのですね。その後も、共産党政権の「中華人民共和国」と、国民党政権の「中華民国」が、おたがいが中国のほんとうの代表であるといって争ってきました。

しかも1970年代までは、国民党政権が中国代表と国連でみなされていました。さすがに1971年の国連総会で、中華人民共和国がほんとうの代表であるとみなされ、台湾は追放されてしまいます。台湾と断交する国も出て、台湾は国際的な孤立が深まってきました。

しかし、1980年代から顕著な経済成長を示すようになり、韓国・シンガポール・香港とともに「アジアNIEs(新興工業経済地域)」とよばれるほどに発展します。経済を中心に国際関係の改善にも努め、2002年にはWTO(世界貿易機関)にも加入しています。

こんなふうにして、とりあえず台湾は、自らが中国の一部なのかどうか、そういうことは表面的には「棚上げ」しておいて、経済発展を謳歌(おうか)してきたのでした。

しかし、台湾は中国なのかどうなのか、そろそろはっきりさせようじゃないか、という動きも出てきます。そのきっかけとなったのが、1980年代後半、李登輝(リー・デンフイ)の総統(大統領に相当)就任だったのです。

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