【チェチェンってどこ?】
チェチェン問題とは
2002年10月、ロシア・モスクワの大劇場で、チェチェン人ゲリラと見られるテロリストたちが数百人の観客らを人質にとる大事件が起きました。
そもそも、チェチェンってどこなのでしょうか。世界一広い国土を誇るロシアにとって、チェチェンという地域は本当に本当に、小さな一角でしかありません。
▼ロシア西部の地図
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※薄い青色の部分は、ロシア連邦内の共和国。
【なぜチェチェンは独立を求めるのか】
もう1つの「イスラム問題」それがチェチェン1991年にソ連が解体する前後から、ソ連を構成していたロシアなどの共和国などはいっせいに「主権宣言」つまり、ソ連に頼らず独立国家としてやっていくぞ、と事実上の独立宣言をしていました。これがソ連解体につながっていったわけですね。
と同時に、ロシアのなかで「自治共和国」とされていたいくつかの地域も、独立を宣言するようになりました。特に黒海とカスピ海にはさまれたカフカス地方では、民族・宗教が入り組み、独立の気運は高まっていきました。
しかし、ソ連崩壊後、ロシアはそれまでの自治共和国を共和国に昇格させながら、ひきつづきロシア連邦のなかで統治するという方針で、自治共和国の独立を認めませんでした。
特にイスラム教徒の多いチェチェン=イングースは連邦残留派のイング-スと独立派が多いチェチェンに分裂。もっともチェチェン内部にも連邦残留派がいたので、内戦が始まり、ロシアも大規模に介入。1996年まで、この内戦は続きました。
おさまったはずの内戦でしたが、この間(おもにロシアの弾圧によって)急速に広まったイスラム原理主義者を中心とするチェチェン=ゲリラがテロ活動を開始、1999年にロシアは再び大規模な軍事行動に出ます。
この軍事行動においてほぼチェチェンのゲリラは鎮圧された、といわれています。しかし、各種のテロ事件が示すように、根絶、とまではいっていないのが現実のようです。
ちなみに、このときチェチェン鎮圧の指揮をとったのが当時のプーチン大統領。かれはこれで一気に国民的人気を得て(!)大統領選に楽勝したのです。
【アメリカはじめ先進国の二重基準】
「テロとの戦い」のために、ロシアの人権問題は棚上げ?背景は違えど、イスラム過激派が起こした今回のテロ事件。おそらくアメリカもロシアが強行手段を使えば支持するでしょう。過激派の根拠地への攻撃も容認するかもしれません。イラク攻撃を支持してもらわなければなりませんから。
しかし、ロシアがチェチェンでどのような行動をとっていたのか。報道管制がしかれ、詳しいことはわかりませんが、チェチェン人の人権を抑圧していたようなことがもれ伝わってきます。
中国に対しては、人権問題にうるさいアメリカ。しかし、ロシアに関しては、どうも違うようです。あんまりうるさくいってきません。
ロシアがアメリカと同じ、イスラム過激派と戦っているという事情からくるものかもしれません。共通の敵を持つものどうしということでしょうか。でも、中国だってウイグルなど、自治や独立を求めるイスラム過激派をかかえています。
ロシアは中国とは比べ物にならないくらいの軍事大国。ロシアとの協調関係は、アメリカ主導の国際体制維持にとってかかせないことです。ロシア「国内」のことは、ロシアにまかせることにしておこう・・・ということなのでしょうか。
そして、アメリカは情勢不安定きわまりない中東からの石油の輸入を、なるべくロシアなど中央アジアに振り替えたい。そんな事情もあり、「見てみぬふり」が行われているのではないか・・・そうかんぐってしまいます。
いずれにせよ、そんな状況にごうを煮やしたチェチェン=ゲリラたちが、国際世論の目を引くために、あえて退路のない大規模テロに出た・・・これが今回の事件の背景のように思えます。
しかし、日本はあいかわらず拉致問題一色。イエメン・バリ・フィリピン、そしてロシアと拡大するテロ事件の輪。日本はこれに無関心でいいのでしょうか?
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