北朝鮮で「総書記」が一番偉いのはなぜ?
アメリカ・ロシアなら大統領。中国なら国家主席。日本やイギリスは形だけですが天皇や国王ということになっていますね。こういうひとたちを「国家元首」といいます。おっと、天皇の場合は「象徴」とよび、「国家元首」とはいわないことになっています。では、北朝鮮の国家元首って、だれでしょう。「総書記」なのでしょうか?ちがいます。北朝鮮には、「国家元首がいない」のです。「建国の父」故金日成(キム・イルソン)は国家主席であり、名実ともに国家元首でした。しかし彼の没後、憲法の改正によって国家主席は廃止され、現在では国会に当たる最高人民会議、軍事を司る国防委員会、そして内閣が、ほぼ並列で最高機関として並んでいるわけです。北朝鮮でいちばん偉いとされている金正日(キム・ジョンイル)は、その中の国防委員会の委員長に過ぎません。
では、なぜ金正日(キム・ジョンイル)がいちばん「偉い」のか。それは金正日(キム・ジョンイル)が朝鮮労働党のトップ、総書記をつとめているからです。北朝鮮の憲法第11条には、「朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮労働党の領導(筆者注;指導)の下にすべての活動を行う。」とあります。これが社会主義国家独特の制度、一党独裁制なのです。
たとえば中国も、憲法で中国共産党の指導のもと政治が行われる旨が規定されています。むかしのソビエト連邦もそうでした。共産党、もしくはそれに当たる政党が政府を指導するのが典型的な社会主義国家の体制なのです。ですから、金正日(キム・ジョンイル)が朝鮮労働党のトップ、総書記をつとめているということで、事実上彼が北朝鮮のトップの位置を占めている、というわけなのです。
まあでもよくわからないので、国内のニュースなどでは、「最も偉大な同志、キムジョンイル」とか、「われわれの首領、キムジョンイル」なんて表現されたりしていますね。さあ、「総書記」がいちばん偉いってこと、よくわかりました?え、まだよくわからない?
だからなんで「書記」が偉いの?
「書記」が共産党の最高指導者を指すようになったのは、やはりソ連の頃からだ、ということでまず「書記」のロシア語をしらべてみました。「секретарь」なんかよくわかりませんが「セクレタリア~ト」とか発音するようですね。これにあたる英語が「secretary」。この言葉、秘書とか長官、大臣という意味もあります。書記長の意味で使われた secretary-general(chief-secretaryという語も使われたようですが)は「(国連)事務総長」という意味でも使われる言葉です。文献によっては「キムジョンイル総秘書」なんていうものもあるくらいですし、やっぱり議事録まとめたり黒板にせっせと書く書記係り、というふうに誤解してしまう翻訳のしかたでは、イメージがわかないのではないでしょうか。そうですね、総書記ではなく、総事務、事務総長、事務局長などと訳したほうがいいのかもしれません。
というわけで、「書記」という言葉の訳し方が悪かった!ということでした。いやいや、そうとも言い切れないところがあります。別の角度から考えてみましょう。
ソ連や中国、北朝鮮がなぜ一党独裁制をとっているのか。それは共産党(労働党)が「プロレタリアート(労働者)」階級の集まりであり、社会主義は「プロレタリアート独裁」、つまり労働者階級による政治である。したがって、労働者階級の組織が政治を指導するのは、当然のことである、というわけです。労働者みんなで政治をするわけなので、なるべくその組織の頂点にいる人も、「指導者」とはいわれても、「なんとか長」とかえらい名前でよばれるわけにはいかないわけですね。
そこで、「事務方のいちばん偉いのは私たちですが、政治の主役たちは労働者のみなさんひとりひとりです」という建て前のもと、「事務局員」くらいのつもりで「секретарь」ということばが使われたのではないでしょうか。
だから「書記長」の「長」、実際のソ連の公文書ではあまり使われなかったらしいです。スターリンは自らを「書記」とよび、フルシチョフは「第一書記」とかいってたのです。フルシチョフのあとの書記長、ブレジネフがスターリンにならってある日「ブレジネフ書記」と書いたら、新米の西側記者がまちがって「ブレジネフ書記長失脚!」と報じようとした、という話もあります。
中国共産党や朝鮮労働党で「書記《長》」ではなく「《総》書記」という言葉が使われているのも、「長」という尊大な表現を指していると思われますね。それに、キムジョンイルのように、国家元首ではなく総書記という党のナンバー1の立場で政治を動かしていくほうが気楽でいい、ということもあるようです。
さっき出てきたブレジネフの場合も、途中十数年間までは国家元首である最高会議幹部会議長を別の人にしていました。国家の表舞台に立つと、いろいろ大変なのか、それとも立たないほうが都合がいいのか……。
北朝鮮の「首領」金正日(キム・ジョンイル)氏とは?
1942年生まれの60歳。ということ以外はけっこうベールに包まれている金正日(キム・ジョンイル)総書記の半生。ほんと、(伝説はいろいろあるものの)よくわからないんです。父は北朝鮮建国の父である金日成(キム・イルソン)。彼は1948年北朝鮮の建国と同時に首相に就任、1949年には朝鮮労働党の委員長、1950年朝鮮戦争中に軍の最高司令官となり、1966年朝鮮労働党の総書記、そして1972年には国家元首として新設された国家主席に就任したのでした。この間の経緯は、ほんとうに少ない情報しかないのですが、おそらく1960年代後半までにライバルたちを一掃し、キム・イルソンの独裁体制が確立したものと思われます。その金日成体制確立を受け、キム・ジョンイル氏は父の後継者としての道を歩み始めます。1973年、31歳で書記になった(伝説では幼少から?)キム・ジョンイル氏は翌年、秘密裏に父の後継者として決定されます。
その後は、軍の指揮権を獲得する形で養成が行わたようで、1980年に政治局常務委員ともに軍事委員につき、1990年に国防副委員長、1991年軍の最高司令官、1993に現在の国防委員長となっています。
1994年、キム・イルソン国家主席が死去してからは事実上の最高実力者として君臨し、1997年に朝鮮労働党の総書記となりました。国家主席になることも確実と思われていましたが、翌年の憲法改正で国家主席制が廃止され、キム・ジョンイル氏は党と軍のトップとして、「人民の首領」とよばれながら国を指導していくことになったのです。なぜ国家主席制を廃したのかはよくわかりませんが、父を「永遠の主席」として神格化することで、自分の権威を高めようとしているのかもしれません。
やはり軍をベースにした活動が主であるため、対外的な代表であり公式行事にもしょっちゅう顔を出さなければならないようなポストは嫌っている、ということもあるのかもしれません。
また、彼が軍、国防畑をあゆみながらこの国を掌握してきた、ということも注目すべきところです。よくいわれていることですが、軍は国防と同時にいわゆる「工作」を行うところ。彼がいろんな「工作」についてよく知っている立場にある、もしくは指揮をとる立場にある、そんなことをよくいわれますが、このキャリアを見るとうなずけます。
当然、「拉致問題」についてもいろいろよく知っている、ということで……今度の会談では、そこのところしらばっくれたりしないで、しっかり応えてほしいものです。